3/20アグリジェント旅行記3 地元ヤギの営業パフォーマンス

ヘラ神殿から、歩いて来た方角へ戻るような形で、ヘラクレス神殿へと向かう我々。

ヘラ神殿と、コンコルディア神殿を結ぶ、歩きやすく舗装された一本道があるのだが、そこを歩いていると、市街地側の方の原っぱに、誰だお前って感じの生物が現れた。

アグリジェント

誰だお前。

アグリジェント

「お前こそ誰だよ。こちとら、地元民だっつーの。お前の方が異邦人だっつーの」。

コヤツは、何者かというと、そこに設置してあった看板を読むと、どうやらアグリジェント固有種のヤギ(?)らしい。観光客に見せびらかすために、神殿の谷近くで放牧しているようだ。

そういうわけで、ヤツは、観光客に見られることなぞ、慣れっこであった。人間も、芸能人は人に見られて綺麗になるというが、コヤツも、人に見られることに慣れきっていて、観光客が喜ぶポインツもしっかり押さえている、ベテランアイドルだった。

アグリジェント

「ほーれ、ほーれ。お前らの目の前で、ツノを木で磨いてやるよ。そうすれば、お前ら喜ぶだろ?あーあ。みんなカメラこっちに向けちゃってね。撮るならさっさと撮れよ」。

アグリジェント

「あー。観光客のみなさんだー。僕ら子ヤギも出て行ってあげた方が喜ぶよねー。テキトウに、見えるあたりで走り回ってやるか」。

このアグリジェントヤギは、正しくは「カプラ・ジルジェンティーナ」という名称らしい。これは、まんまイタリア語で「アグリジェントヤギ」という意味になる。ジルジェンティーナというのは、アグリジェントの古い名称・ジルジェンティに由来するのだと思われる。ゲーテのイタリア紀行 中 (岩波文庫 赤 406-0)で、アグリジェントはジルジェンティという名前で登場するのだ。

古代ギリシャ時代、おそらくアグリジェントが一番栄えていた、ギリシャ植民地だった時代、アグリジェントは「アクラガス」という名前で呼ばれていた。その後、古代ローマの時代には、ラテン語で、「アグリゲントゥム」と改名された。

何となく音の響きでは、アクラガスがアグリゲントゥムに変化したのかな?と思うのだが、全然関係ないらしい。アクラガスというのは、近くの川から取った名前で、アグリゲントゥムは、農地とかそういう意味からつけた名前なのだそうだ。音が似ているのは偶然、ということだが、似ているから、新しい名前も簡単に定着したのかな、と思ってしまう。

その後、ビザンチン支配、イスラム支配、フランス、スペインと、支配者がコロコロ変わって行くシチリア。古代ローマを作ったラテン人も、もともとシチリア島にいた民族ではないので、シチリアの歴史は、ずっと外から来た民族によって支配されてきた歴史である、とよく言われる。

しかし、誰に支配されようと、現代の民主主義国家の繁栄以前であれば、地元に密着した民族だろうが、外からやって来た民族だろうが、普通の一般の人間からしてみれば、「支配されている」こと自体に、そう変わりはないんじゃないか、と、私なんぞは思ってしまう。

異民族の支配といえば、圧政を敷くという印象が強いが、そもそも歴史において、一般の人間が、何を考え、どう暮らしていたかということは、ほとんど後世には伝わらない。歴史って、そう考えると、ただの事実の羅列であって、人々が紡いできたストーリーだと考えるのは、幻想なのかな、なんて思ってしまう。

物語なんてものは、一人一人の人間にしか存在しないし、その物語は、その人間の一生が終了すると、ほとんど伝えられることなく終わる。たとえ、その人間が自伝を残していたとしても、自分の人生を自分なりに解釈して書くのだろうから、自分によって脚色された、フィクションである可能性が高い。ゆえに、純粋に本物の物語ではない。

その意味では、純粋に本物の、フィクションではない物語など、どこにも存在しないのだな。いや、逆に、物語、などと呼んだ時点で、それは既にフィクションになってしまっているのかもしれない。

そう考えると、人類の歴史や、一人の人間の人生は、フィクションではないのに、フィクションとしてしか語ることができないという、矛盾が生じていることになる。それは、人間の限界なのかもしれないし、逆に解釈する生物としての、可能性なのかもしれない。

脱線のしすぎも甚だしいよ!

何が言いたかったかというと!ジルジェンティという名称は、イスラム支配時代の、アラブ語に由来する名称らしいよ、と言いたかったんだよ!それだけなんだよ!んでもって、ムッソリーニの時代に、愛国心鼓舞のためか、イタリア語の祖先、すなわちラテン語の、古代ローマ時代の名称に近い形に戻したんだよ。

しかし、「たとえどんな名前で呼ばれる時も花は香り続ける(by中島みゆき)」ように、何と呼ばれようと、アグリジェントの、雄大なる自然と神殿が織りなす風景は、変わらずに人々の目に映り続けるのだなあ。

さてさて。アグリジェント・ヤギたちの、余裕すら漂っているパフォーマンスを見せて頂いた後は、ひたすらヘラクレス神殿まで戻った。ヘラクレス神殿は、神殿の谷でも、やや南側、海寄りの方にある。

アグリジェント

このように、柱が、無骨に並んでいるのが、ヘラクレス神殿である。神殿の形として残っているわけではないが、何本かの柱が立ち並んでいる。この柱たちは、古代からずっと立ち続けているのではなく、転がっていたのを、20世紀になってから起こしたらしい。この柱の周りには、ごろごろと遺跡が転がっている。

アグリジェント

アグリジェント

このヘラクレス神殿は、神殿の谷の中でも、古いものらしく、紀元前6世紀頃のものだそうだ。アグリジェントを建設したギリシャ人は、ペロポネソス半島のドーリア人だからなのか、神殿の谷で見られるギリシャ神殿は、全てドーリア式の、質実剛健って感じの柱である。

ヘラクレスは、ギリシャ神話でおなじみの英雄だが、神様ではない。半神半人、ギリシャ神話ではよくある、ゼウスと、人間女性の間に生まれた子供である。

半神半人なのに、信仰の対象となり、神殿が作られるんだなーと思ったら、数々の偉業を成し遂げたヘラクレスは、死後に神格化されたらしい。ヘラクレスの偉業とは、ほとんどが、怪物退治である。つまり、ヘラクレスは、武闘派の勇猛な英雄である。そんなヘラクレスに、ただただ、力強い柱が立ち並んでいるだけの、素朴なこの神殿跡は、妙に似合っている。

アグリジェント

建っている柱。倒れて転がっている柱。ゼウス神殿と同じように、ヘラクレス神殿の周囲も瓦礫だらけである。その後、台頭してきた一神教に、淘汰されてしまったギリシャ神話。ギリシャ神殿跡の、このような姿は、祀られていた神々が辿ってきた運命そのものを表している。

しかし、終焉した文化の跡というのは、なぜ、このように物悲しくも美しいんだろうなあ。ゲーテも、アグリジェントの遺跡群の、絶えず風化して行くことの美しさについて触れていた。我々、死ぬべき運命を背負った人間にとって、滅びゆくものへの共感とでも言おうか、そんなものが、自分の死を受け入れるための、心理的装置として備わっているのだろうか。

アグリジェント

その廃墟の谷から、南側、海側を見下ろすと、春の黄色い花が咲き乱れていた。文明死すとも、花は咲く。人間の巨大文明は、自然を凌駕することもあるが、文明がとてもじゃないけど敵わない、しぶとい生命力を、自然は持ち合わせているということを、感じさせる景色である。

ギリシャ神殿のことになると、ヒステリックになる傾向のある我々は、お昼からずーっとぶっ通しで歩き続けてきた。夜のライトアップまでは、もう少し時間がありそうなので、コンコルディア神殿とヘラ神殿の間にあるカフェで、ちょっと休憩することにした。

アグリジェント

このマークが目印。

アグリジェント

トイレも併設している。カフェを利用しなくても、トイレだけの利用もできる。広い神殿の谷の中、探せば他にあるのかもしれないが、トイレはここ以外目に付かなかった。一応、後で困らないように、このトイレの場所は頭に入れておいた方がよいかも。冬季で、人が少なかったためか、なかなか綺麗にしていた。

 

神殿の谷は、夜7時半すぎくらいまで開いていたが、このカフェは6時までで閉店であった。夏季の営業時間は、また違うのかもしれないが、遅い時間にカフェを利用する予定の方は、閉店時間を確認しておいた方がよい。

さて。エスプレッソで一服したあとは、お待ちかねの夜景である!…って、この夜景を見るために、神殿の谷に居残ったせいで、旅のこんな終盤に、今回の旅行史上、最も焦る事態に陥ることになるんだよ。まっ、その話は次回だよっ!