3/4カターニア2 セレブが修道院を作ったら

予定変更して、カターニア観光をすることになった本日の午後。

「カターニア係」は、姉である。姉と私は、訪問する町ごとに係を決めて、見どころや美味しいお店などをリサーチすることにしている。ちなみに、私は地図が読めない女なので、私が担当している町でも、最終的に姉が地図を見ているのは、誠に申し訳ないことである。いいんだ!たった二人の姉妹だから!(と、姉が思ってくれているかどうかは定かではない)

その「カターニア係」の姉に、「ねー。どこに行くべきなのー?」と聞いてみると、「サン・ニコロ教会と修道院」という答えが即座に返ってきた。この忙しいカターニア滞在の中でも、そこだけはもともと姉は訪問するつもりでいたらしい。

と、言うわけで、町の西の方にあるサン・ニコロ教会とサン・ニコロ修道院に向かって、歩くぞー!

途中では、古代オデオン劇場の前を通った。本当は、7泊もするなら、こういう場所にも入りたいのだが、何せ、毎日他の町への遠足が計画されているため、今回のカターニア滞在は、忙しいったらありゃしないのだ。いつもまったり旅行の我々が、今回は本当に忙しい計画を立てた。だって、どんだけ話し合っても、ひとつも予定が削れなかったんだもの!

ちなみに以下がカターニアでの予定
1泊目 眠るだけ
2泊目 カターニア観光+ノートへお菓子購入へ行く(ノートの計画は頓挫)←現在地
3泊目 カルタジローネ
4泊目 タオルミーナ
5泊目 ピアッツァ・アルメリーナ
6泊目 メッシーナ+リパリ島。荷物をカターニアに置いたままリパリ島に一泊
7泊目 リパリ島から帰ってカターニア観光

…はっきり言って、この予定を自分たちがこなせない可能性有り、ということは、ちゃんと想定している。ていうか、初日のノート行きから頓挫してるし!ノートは後からシラクーサから行くからいいんだよ!実は、最初の最初は、この予定に、さらにラグーザとモーディカが入っていた(この2つの町は、別の日に宿泊で行くことに変更)。…どう考えても無理だよ!こういうのを机上の空論って言うんだね!

で。古代オデオン劇場などは、最終日に行けたら行こう、ということで(実際はそんなん無理だった)、今回はスルー。このあたりは、人影もまばらだったので、ちょっと注意して歩いた。カターニアで私が一番警戒していたのは、バイクによるひったくりである。バイクのひったくりは、バッグを盗られるだけでなく、襲撃される時に転倒などしてケガをする危険もあるので、そもそも狙われることがないように、なるべく車道から遠い場所を、ちゃんと背後確認しながら歩いた。

古代オデオン劇場にちなんでいるのか、その名も「ギリシャ劇場通り(Via Teatro Greco)」という道を過ぎると、前方に非常に巨大なクーポラが見えてきた!

カターニア サン・ニコロ修道院

何だ、この巨大なる建築物はーっ!しかも、結構美しーいっ!!!あまりのデカさに口をぽかーんと開けている私を見て、姉は得意げに「あんた、カターニア舐めてたでしょ」と言う。うん、舐めてた。

このクーポラが見えている建物がサン・ニコロ修道院で、その奥の方にはサン・ニコロ教会がある。残念ながらサン・ニコロ教会は13時には閉まっていたので、別の日に出直すとして、修道院の方に入ることにした。

修道院の出入り口には、やけに若者の姿が目立つ。それも、イタリアでよくあるような、ヒマでだべっている若者とは、ちょっと違う雰囲気だ。姉に「若い人多いねえ~」と言ってみると、「この修道院、確か今は大学として使われているんだよ」と言う。

カターニア サン・ニコロ修道院

豪華絢爛な大学だねえ!

カターニア サン・ニコロ修道院

窓辺はゴテゴテしたバロック風の飾りで彩られている。左端の顔が、ちょっと松井秀喜に似ている気がしないでもない(私は松井秀喜大好きですよ!)。

「大学だったらさー、中に入れるの?」と姉に聞いてみると、「開いてるところには入れるはずだよ」と姉が言うので、開いている正面の扉から入ってみた。

カターニア サン・ニコロ修道院

カターニア サン・ニコロ修道院

…すると、この美しくて気品あふれる階段が待ち構えていたのだ。いやー、美しすぎる大学じゃありませんこと?壁には、修道院の名前になっている聖ニコロや、カターニアの守護聖人である聖女アガタなどが、浮彫で表現されている。

階段を上っていくと、回廊つきの中庭のようなものが見えて、中央には何だか素敵な建造物が見えている。中庭の方に出てみたかったのだが、中庭に通じるドアにはカギがかかっている。

周囲を見渡すと、いくつか学生のための勉強スペースがあり、学生さんたちが静かに勉強している。イタリアの大学は日本と反対で、入学は簡単だが卒業は難しいらしい。そのためか、皆さんまじめに勉強していらっしゃる。

その中で休憩中の男子学生がいたので、「すみません、あの回廊の方に出ることはできないんでしょうか?」と聞いてみると、「建物の外、入り口のところにあるブックショップで、ガイドツアーに申し込めば、見学することができますよ」と教えてくれた。とても物腰の柔らかい、上品な学生さんだった。上品な大学に上品な学生有りなんだね!

姉が「サン・ニコロ修道院はカターニアNO.1の見どころ!」と言ったのと、室内から見た中庭中央の建物が、何だかとっても風情のある礼拝堂に見えたので、二人で相談して、このガイドツアーに申し込むことにした。

敷地内への入り口、外側から見ると右手側にあるブックショップに行き、スタッフさんに「私たちは回廊を見学したいのですが…」と申し出ると、イタリア語のみのガイドになると言う。もちろん私のイタリア語力は、こういうガイドを聞き取れるレヴェルには遥かに及ばないわけだが、ポイントだけわかればいいや、と思い、スタッフさんに「(イタリア語で)ワタシ、スコシ、イタリアゴワカル」とか言って、申し込むことにした。ひとり6ユーロであった(地球の歩き方には3ユーロとあったが、値上げしたようだ)。

ちょうど私たちより少し前に、ガイドツアーを申し込んだ年配の女性が一人いらっしゃったので、この方と3人でガイドしてもらうことになった。この方は、フランス系カナダ人で、母語はフランス語と英語。そこで、担当する若い女性ガイドさんは、「私は英語は完璧ではないんだけど、3人ともイタリア人じゃないので、何とか英語でガイドを試みてみます」と言ってくれた。すると、このカナダ人女性、「私、まあまあイタリア語わかるから、必要な場合は通訳しますよ」とのこと。3か国語話せるってスゴイ!

最初は、姉も私も「本当は、あの回廊だけ見れたらいいんだけどなー…」と思っていたのだが、このガイドツアーが、思いのほかに面白かった。

サン・ニコロ修道院は、もともとは16世紀に建てられたものだそうだが、その後地震でダメージを受けたりして、増改築が繰り返され、いくつもの建築様式が合わさっているらしい。

特に17世紀には、エトナ山の噴火を伴う地震で溶岩が流れ込んで来て、修道院の西側は降り積もった溶岩のために、東側より土地が高くなってしまったそうだ。その溶岩の上に、地震によって破壊された西側部分を再建したため、修道院の西側は東側の下の階にあたる部分が無いのだ。そこは溶岩で埋め尽くされてしまっている。

カターニア サン・ニコロ修道院

我々がぜひ近くで見たかった、回廊中央の建造物はコレ。

カターニア サン・ニコロ修道院

ガイドツアーでは、真下まで行くことができた。近くで見るとこんな感じ!

さぞかし、聖なる祈りの場所なのだろうと思いきや、ガイドさんによると、実はこの建造物は祈るためのものでなく、「コーヒーハウス」なのだそうだ!修道士たちがここでお茶したり、ゲストをもてなしたりしたらしい。18世紀頃のヨーロッパで、イタリア旅行が「グランドツアー」と呼ばれ、上流知識人の間で流行っていた時代の旅行者たちも利用していたらしく、ガイドさんからはゲーテの名前も挙がっていた。

ガイドさんいわく、「ここの修道院は大変なお金持ちだったんです。それで、この修道院は、ヨーロッパで2番目に大きいし、豪華絢爛なんです」と言う。それで、あんな王宮みたいに豪華な大階段が、入り口からして構えているわけだね。セレブが修道士ならば、そりゃ、上品なコーヒーハウスでコーヒーブレイクもするだろう。

カターニア サン・ニコロ修道院

コーヒーハウスのある回廊の横には、もう一つ大きな中庭がある。この修道院は、19世紀以降、学校や軍の施設として使われた時期もあり、広い中庭は、軍隊の訓練所として使われていたこともあるのだそうだ。今は修道院は大学となり、昔の僧坊が、大学のオフィスとして上手に使われてたりしている。

日本でも、地下は地震に強いと言われるが、ここサン・ニコロ修道院でも、17世紀の地震で地下部分は持ちこたえ、建造当初の形で残っているらしい。そして、その地下部分は、現在は大学の図書館として使われている。

カターニア サン・ニコロ修道院

何て素敵な図書館っ!私も、大学時代、こんな図書館があれば、もっと勉強してたよ(嘘だな)!

この地下部分には、修道院が建てられる前にこの場所にあった、ローマ時代の遺構も残っている。

カターニア サン・ニコロ修道院

何と、紀元前2世紀の、古代ローマ時代のフレスコ画が残っているのだ!テーブルクロスと、テーブルの上に置かれたキャンドルが描かれているのがわかるだろうか。

カターニア サン・ニコロ修道院

こちらは、床部分に残された、2世紀頃のローマ時代のモザイク。いやはや、何ともすごいところで、ここの学生さんたちは勉強してるのだ。

ガイドさんは、ものすごい大量のカギを持っていて、ひとつひとつの部屋に進むごとに、カギでドアを開けてくれる。ヨーロッパで二番目に大きい修道院だけあって、非常に内部は広く、途中から…いや、方向音痴の私の場合、結構初めの方からだな…自分がどういう風に歩いてきたのか、全然方向感覚も何階部分にいるのかもわからなくなってしまった。

というわけで、場所はどこだか全然わからなかったが、面白かったのが、「夜の礼拝堂」と呼ばれる部屋。この部屋に入る前にガイドさんは、「今から皆さんにサプライズをお届けしますよ。ウフフ☆」と言っていたのだが…

何の変哲もない、現在では学生たちの会議室として使われている部屋に入り、その奥の方の通路を通ると…

カターニア サン・ニコロ修道院

こういう小さなバルコニーがあった。ガイドさんが「ここがどこだかわかりますか?」と言う。バルコニーから見下ろしてみると…

カターニア サン・ニコロ修道院

もしかして、お隣のサン・ニコロ教会!?そう!この秘密(?)の通路は、隣接するサン・ニコロ教会へとつながるバルコニーだったのである。

ガイドさんいわく、「年をとった修道士が、足腰が弱って、隣りの教会までお祈りに行けない時に、ここから祈りをささげていたんです」と言う。通路の一部が教会と通じている、フィレンツェのヴァザーリの回廊に似ていて面白い!このバルコニーからは、サン・ニコロ修道院の名物である、黄道十二星座を使った日時計の、日光を取り入れる部分がよく見えた。

カターニア サン・ニコロ修道院

こちらは、修道士たちのキッチンに残っている調理用のかまどみたいなもの。ガイドさんによると、ここで修道士たちは、メロン大のアランチーニ(ライスコロッケ)を作って食べていたらしい。メロン大のアランチーニって…何となく禁欲生活の修道士とはそぐわないもののような気がするが、何と言ってもこの修道院はお金持ちだったわけだからなー。

最後は、図書館とは別の地下構造で、井戸などを見学したりした。井戸の水は、ドゥオーモ前の噴水と同じ水脈の、「アメナノ川」という川が水源なのだとのこと。イタリア人には「アメナノ」という発音はしにくい、とガイドさんは笑っていた。日本語では「アメナノ」って、「雨なの」という女言葉っぽいので覚えやすかった。

カターニア サン・ニコロ修道院

その地下部分に置かれた、化石のような骨。最初は、地下から発見された化石なのかなと思ったが、この動物の骨は、地下の屋根に埋め込んで、地震の時に一緒に揺れて、免震的な効果があるのだそうだ(私の英語力と物理の知識が危ういので間違っているかもしれないが、このような感じの説明をしていたと思う)。地震が多いこのカターニアならではの知恵だ。

ガイドさんは「昔の人はスゴイですよね。今のイタリアには、こんな知恵はないです。でも、日本は免震とか耐震の建築がスゴイんですよね!」と、姉と私に向かって言った。う…うん、確かにスゴイかもしれないけれど、姉や私は、免震とか耐震性の建物を作れと言われても、絶対に作れやしないのだ。よく私は、「イタリアは一握りの優秀な人が国を動かしてるんだ!」とか書くが、よく考えれば日本だって一緒だな…。アリガトウ、一握りの人…。

最後は、あの大きな階段の場所に戻ってきて、1時間強ほどのツアーは終了した。いやー、予想以上に面白かった!同行した、イタリア語ペラペラのカナダからの女性客が、ガイドさんが英語で何と言っていいかわからない部分を、私たちに向かって英訳してくれたので、非常に助かった!ありがとうございました!

ガイドツアーって、結構早足で周ることが多くて、私は苦手だったのだが、このツアーは、結構ゆっくりと堪能することができた。なかなか建物の構造が複雑でおもしろいので、特に建築好きにはおすすめしたいツアーである。

修道院を出ると、もう17時近くで、陽は傾きかけていた。

カターニア

この後、ちゃっとドゥオーモに入ったが、ミサ中だったので、すぐに外に出た。その後、デパートのコインに行って、日本からヘアブラシを持ってくるのを忘れたので購入した。どんなに余裕を持って準備をしても、なぜか忘れ物が発生するのである。その原因はまだ究明できていない。人生は不思議(不思議じゃねえよ。アンタがしっかりしてないから忘れるだけだよ)。

カターニア

夜のおやつ(夜のおやつは女性の敵ですよ!)には、シチリア名物のカンノーリ(左)と、カッサータ(右)を食べた。感想は、えっへへへへ!である(美味しいってこと)。どちらもシチリア中で食べられるお菓子だが、カッサータは、ここカターニアでは、守護聖女の聖アガタの殉教伝説にちなんで、乳房の形にして作るのだと、機内で読んだ情報誌に書いてあった。

さあ、明日からいくつのカンノーリとカッサータを食べられるかな!あと、シチリア名物のグラニータと呼ばれるシャーベットと、ブリオッシュに挟んだジェラートも食べなきゃね!

…と意気込んでいた我々だが、翌日からまさかの寒い日々が続き、グラニータとジェラートがどんどん遠のいて行ってしまったのである…。