3/16フィエーゾレ旅行記 坂を上り続けて70年

本日は、日曜日。日曜日のフィレンツェは、まだ本格的に観光シーズンに入っていない3月でも、人混みがスゴイ。週末に人が増えるなんて、フィレンツェには、イタリア国内や、ヨーロッパ内からの旅行者が、ウィークエンドを利用した、ショートトリップで来るのかもしれない。

そんな日曜日のフィレンツェは、中心街を避けて、周縁部へと足を運ぶのが一番である。今まで、たいてい、フィレンツェでの日曜日は、やや郊外にあるサッカースタジアムへと足を運んでいた。残念ながら、本日は試合がない日なので、母が行きたがっていた、フィエーゾレへ行くことにした。

フィエーゾレは、フィレンツェの北東に位置する、小さな高台の町である。フィレンツェから簡単に市バスを使っていくことができる。私は、以前訪問した際は、フィエーゾレは、フィレンツェの一部くらいに思っていたのだが、実は、起源や歴史が違う、全然別の町である。

フィエーゾレといえば、今や、フィレンツェの街全体を見渡すパノラマスポット、というイメージが強いが、パノラマスポットということは、高台の町…つまり、トスカーナ州やウンブリア州など、イタリア中部の特徴である、丘陵都市なのである。そして、イタリア中部の丘陵都市は、古代ローマより歴史が古い、ローマ人とは別の民族であるエトルリア人が作った町が多いが、フィエーゾレもその一つなのだ。

対してフィレンツェは、アルノ川のほとりに作られた、平地の町で、こちらは古代ローマ時代にローマ人が作った町である。歴史的には、ローマ以前から存在していたフィエーゾレよりも若い町である。しかし、フィレンツェのほうが強大化し、中世にはフィエーゾレはフィレンツェに戦いで敗れ、支配下におかれるようになった。

そんなわけで、フィレンツェとフィエーゾレの大きな相違となるキーワードは「エトルリア」である。このキーワードで語るならば、フィエーゾレは、フィレンツェより、コルトーナやアレッツォのような、エトルリア起源の丘陵都市の仲間と言えるのである。で、あるからには、フィエーゾレに行くなら、フィレンツェのパノラマを拝むより、エトルリア遺跡が残る考古学地区に足を運ぶのが正しい気がするのだ。

んが!観光客である我々が見たいのは、やっぱりフィレンツェのパノラマなのである。姉と私は二度目のフィエーゾレで、前回も考古学地区に行かなかったので、今回こそ考古学地区に足を運びたい気持ちも強かったのだが、午後からフィエーゾレに向かったこともあり、時間があったら…ということになった(もちろん鈍足の我々に時間などなかった)。

フィレンツェからフィエーゾレ行きのバスは、サン・マルコ広場からの発着となる。

サン・マルコ広場へ行き、いつものように近くのタバッキでバス切符を買おうと思ったら…タバッキが閉まっている。シマッタ。今日は日曜日なんだ…。サン・マルコ広場近くの、バス切符を売ってそうなタバッキは軒並み閉まっていた。

右往左往していると、小さな自動券売機みたいなマシーンで、バス切符を買っている地元の人がいたので、見よう見まねで、我々もこのマシーンで購入した。タバッキなどで購入するバス切符を、ただただコピーしただけ、みたいな薄っぺらい切符が出てきた。

フィエーゾレ

こちらが、フィエーゾレ行きのバス停。正確には、サン・マルコ広場ではなく、広場から教会を正面に見て、右手の方にあるGiorgio la Pira通りにバス停がある。バス停の名前も「La Pira」であり、「San Marco」ではない。

ここでバスを待っていると、中国人の一人旅の男性に、英語で道を聞かれた。「アカデミア美術館はどこですか?」。アカデミア美術館の場所をフィレンツェで聞かれるのは、これが初めてではない。民家の一部って感じの建物だから、確かにわかりづらいのだ。

場所を教えてあげると、今度は日本語で、「アナタハガクセイデスカ?」と聞かれた。何の脈絡もなかったが、きっと、これが知っている数少ない日本語なのだろう。この中国人に限らず、数少ないボキャブラリーを駆使して、何でもいいから外国人と話そうとする人に道中で出会うことってよくある。こういう人が、外国語力をどんどん身につけていくんだろうなあ。言語学習って、やっぱり習うより慣れよ、なのだ。見習いたい。

しばらくすると、7番バスがやってきた。切符(ペラペラ)に刻印して、フィエーゾレへの遠足に出発~!バスは、フィレンツェ旧市街を飛び出し、しばらくすると、ゆっくりと登り始める。途中、サン・ドメニコのバス停で、結構人がたくさん降りた。ここのサン・ドメニコ教会には、どうやら、フラ・アンジェリコの知られざる作品があるらしい。

しかし、それが一般に公開されているのか、しかもどんな絵なのかについても、ほとんど情報がない。実は、今回、突撃して行ってみようかという案もあったのだが、あまりにも情報不足だったため、断念したのである。しかし、こうして、フィエーゾレへ行く7番バスで途中下車すればいいことが判明したので、次回トライしてみたいぞ…。

バスは、さらにくねくねと上り、ちょっとだけ賑やかな広場が終点となる。日曜日だからか、市のようなものも開かれていた。
前回、姉と二人でフィエーゾレに来たときは、この広場から、右回りでサン・フランチェスコ教会に行ったのだが、それはポピュラーな順路ではなかったらしく、教会の裏手に出てしまった。今回は、正式ルート(?)の左回りで、教会へ向けて坂を上った。

この坂が、前回は、逆ルートで歩いたため、下り坂だったのだが、その反対から歩いたら、当然上り坂である。まー、何とも勾配がきつくて、しんどい坂…ではあるのだが、何せ、今回の旅行は、必殺坂(何それ)で名高いウルビーノやコルトーナを訪問したため、坂には慣れっこになっていた。

そのため、本来なら、ぴーぴー泣きながら上るはずのこの坂が、「あ、また坂だ」とくらいにしか感じなかった。身体が急に丈夫になるわけはないので、この坂を上るのは身体的にはきついはずなのだが、精神が慣れてしまうと、結構余裕を持ててしまうのである。何事も気分が大事である。

フィエーゾレ

坂を上り切ったら、このトスカーナの風景っ!

フィエーゾレ

…しかし、逆光だし、何だか霞んでるしで、前回同様、あまりいい写真は撮れなかった。この白いもやもやの中にあるのは、フィレンツェのドゥオーモの屋根であります。よく考えれば、フィエーゾレはフィレンツェから見て北側に位置する。北の方から撮影すると、逆光であまりいい写真が撮れないって、何か雑誌みたいなのに書いてあったなあ。南側に洗濯物を干すとよく乾くのと同じ原理で合って…ますよね?

フィエーゾレとミケランジェロ広場は、フィレンツェを見渡す絶景ポイントとして、どちらがいいか?という質問をよく目にする。おそらく「フィレンツェだけ」を見たいのであれば、フィレンツェから近いミケランジェロ広場の方が、ドゥオーモの屋根やアルノ川ははっきり見える。また、フィレンツェの南側に位置するミケランジェロ広場の方が、写真撮影がしやすい、というのも今回わかった。

…いえ、そんなこと、前回来たときに気づけよって話なんですけどね。前回フィエーゾレに来たときは「たまたま逆光で撮りにくいんだろう」などと、アホなことを考えていた。「たまたま(=偶然)逆光」なんてことは、よく考えればナイのだ。太陽は、いつでも東から南の空の方へ上り、西へ沈んでいるのだよ。たまたまなんてことはない。

フィエーゾレがミケランジェロ広場に勝る点は、フィレンツェだけでなく、トスカーナの自然風景も広く見渡すことができる点だろう。しかし、トスカーナの、他の丘陵都市と比べて、特に景色がよいということはない。ただ、平地の町・フィレンツェからは、なかなかトスカーナ特有の自然風景が見られないので、フィレンツェ周辺で手軽にトスカーナの風景を見たい、という方には、フィエーゾレはおすすめだ。

フィエーゾレ

パノラマスポットの石垣に現れたトカゲ君。このトカゲ君、それほど人嫌いではなく、逃げなかった(トカゲって、人間を見ると電光石火で逃げてしまう人…じゃなかったとトカゲが多い気がする)。それだけでなく、母とガン付け合っていた。ちょっと、母、フィエーゾレの思い出がソレでいいのか…。

フィエーゾレの風景は、他のトスカーナの丘陵都市と比べて特別だとは思わない、と先程書いたが、そんなフィエーゾレで、私が大好きなのが、このパノラマスポットのすぐ上にある、サン・フランチェスコ教会である。

フィエーゾレ

フィエーゾレ

パノラマスポットから、階段を上った先にあるサン・フランチェスコ教会。その立地そのものも素敵だし、素朴で静かで、いかにも丘の上の教会という風情である。

フィエーゾレ

教会の内部は、簡素で、取り立ててどうということはない。が、サン・フランチェスコ教会の見どころは、この、教会そのものの内部ではなく、教会の隣に隣接している僧坊である。

フィエーゾレ

この小さな階段で2階に上がると、左右に僧坊が並んだ静かな空間がある。

フィエーゾレ

ドアから、僧坊の中をのぞくことができる。心静かに過ごせそうな空間だ。たとえば、鴨長明とか、吉田兼好のような、鎌倉時代に随筆を執筆したお坊さんたちを、ふっと思い浮かべてしまう。洋の東西や宗教を問わず、俗世間から離れる人々というのは、似たような雰囲気を纏うものなのだろうか。

フィエーゾレ

ドアの上部に「シエナの聖ベルナルディーノの小部屋」と書いてある。いつの時代に書かれた文字なのだろう?

この僧坊は、一階部分の中庭もなかなかいい感じである。

フィエーゾレ

フィエーゾレ

フィエーゾレ

回廊も素敵だし、アッシジのサン・フランチェスコ教会(イタリア中にあるサン・フランチェスコ教会の総本山)にある、ジョットの「小鳥に説教する聖フランチェスコ」を彷彿とさせる素朴な絵もある。

回廊をぶらぶら歩いていると、「MUSEO(=博物館)」と書かれた先に、下り階段があったので、下ってみると、こじんまりとした博物館があった。これ、前に来たときは気づかなかったなあ~。無料入場できるらしいので、入ってみたら、誰の収集物なのか、中国系のお宝が多く集められていた。こういうのは、よく分からないので、ほえー…と言いながら見学。

博物館には、何かラジオの音みたいなのがざわざわ聞こえていて、耳を澄ましてみると、どうも「カッサーノ!カッサーノ!!!」と言っているように聞こえる…。どこからの音なんだろう?と、見回してみると、この博物館のスタッフとして、入り口近くに座っている神父さんが、ラジオでサッカーの試合を聞いているよ…。そうだね、日曜の午後だから、ちょうどイタリアではサッカーをしている時間だね。神父さんでもサッカーを(勤務中に)聞くのが、イタリア流なのだ。

二度目のフィエーゾレ、考古学地区や、美術館にも入りたかったのだけど、暗くなる前にフィレンツェに帰ることにした。フィエーゾレには、また、サン・ドメニコ教会に行く機会に立ち寄れるだろう。

フィエーゾレ

サン・フランチェスコ教会から、バス停のある広場まで、この急勾配の坂を今度は下って行く。

前方から、ゆっくり、ゆっくりと、地元のおばあさんが上って来た。おばあさんと我々は、どちらからともなく顔を見合わせて笑った。おばあさんは、ことし82歳で、もう70年以上も、ほぼ毎日この坂を上っているそうだ。若い時はへっちゃらだったけど、今はしんどいわーと笑っていた。

バス停に到着して、バス切符を購入しようと思ったら、日曜日のため、付近の売店は全て閉まっていた。バールやレストランで、バス切符を販売していないか聞いてみたが、どのお店でも売っていない。やや割高になるが、バス内で運転手さんからも購入できるはずなので、そうすることにした・。

バスがやってきて、運転手さんから切符を買おうとすると、「ごめん、売り切れちゃった」と言う。ええっ?しかし、バス内に乗ってきている我々に、降りろとも言わない。彼の仕事はバスを運転するだけ。切符を持っているかどうかを点検する仕事は検札の人の仕事、てなわけで、我関せずなわけである。ヨーロッパらしいなあ。

イタリアのバスは、抜き打ちで検札係りの人が乗り込んでくることがあり、その時に、刻印した切符を持っていなければ罰金を支払うことになるのだが、切符を売るお店も開いてない、運転手さんからも買えない、では、なすすべなし。万が一検札係の人が乗ってきたら、事情を話すしかないだろうと思ったが、そもそも日曜日に、イタリア人が検札の仕事なんかするとは思えない。

念のため、検札が来る前に、バスを降りてしまえ、と、終点のサン・マルコ広場よりやや手前のバス停でバスを降り、逃げ切り成功~!言っておきますが、好きでタダ乗りしたんじゃないですよ!切符を買う意志は、我々の中に存在していたのですよ!

…とはいえ、日曜日にフィエーゾレに行く方は、サン・マルコ広場の自動券売機で、往復分切符を購入しておくことをおすすめする。教訓の生まれる旅ってスバラシイ。