3/8ポンペイ旅行記2 ティピカル・フード礼賛

さて。そろそろ、秘儀荘の方角へ向けて、歩いていくことにした。

ポンペイ

ポンペイ遺跡の中は、このように、おそらく古代ローマ時代にも道として使われていた道を歩いて移動することになる。当然のことながら舗装などされていないし、歩きやすい道ではない。

このような道を、かなりの距離歩くことになるので、歩きやすい靴で行くことは必須である。私はまあ、ドジ野郎ではあるのだが(ドジッ子って言えばよかった。ドジッ子ならかわいいよね)、何度か石と石の間で、足がクリっとなった。気を付けて歩かないと、足首などを痛めてしまいかねないので、ポンペイに行く方は注意されたし。

歩いていくと、ポンペイで一番有名な場所である「フォロ」に出た。ポンペイの写真としてよく使われる、広場の向こうにヴェスーヴィオ火山が見える場所である。ここは記念写真撮影スポットでもある。母と私も姉に撮ってもらった。

ポンペイ

し、しかし!後ろのヴェスーヴィオ火山が!雲で隠れまくっているよ!この場所が、なぜポンペイ遺跡の中で有名かというと、ここがポンペイの中心である「フォロ」であるからだけではなく、そこからポンペイを滅ぼしたヴェスーヴィオ火山がはっきり見えることが、実に運命的で、胸にグッとくるからなのである。あいやー。この雲。よくよく見るとこの雲、灰色だし雨雲だね。この雨雲たち、ヴェスーヴィオ火山を隠しただけでは飽き足らず、後で我々にヒドイ仕打ちをするのである…。

まあ、ヴェスーヴィオ火山が隠れていても、やっぱりここがポンペイの撮影スポットなので、3人でポンペイ記念写真を撮るならここだろう、と、近くにいた中国人の男性組に頼んで、3人の写真を撮ってもらった。私のざっくりした印象では、西洋人より東洋人の方が写真が上手い人が多い。まあ、私のような、写真が下手な東洋人がこんなこと言っても、何の説得力もないのである。ちなみにこの中国人男性グループとは、広いポンペイ遺跡の中で何度もすれ違い、会うたびに挨拶する仲となった。

ここフォロで、ヴェスーヴィオ火山を見ながら(雲に隠れてるけどね!)、菓子パンを食べて一休みした。ポンペイで使おうと思って、スーツケースに敷物を入れてきたのだが、何と、この日に持ってくるのを忘れた。まぬけすぎる。まあいいさ。石に腰かけて食べたよさ。

お腹も満足したところで、秘儀荘に向けて北進するぞ!

その途中で「悲劇詩人の家」に立ち寄った。ここには、あまりにも有名な「猛犬注意」のモザイクがある。

ポンペイ

ちょっとわかりづらいが、犬の下の方に文字が書かれていて、これが「猛犬注意」という意味なのだそうだ。玄関だと思われる場所に、こんなモザイクがあるのがおもしろい。

文字通り、客人に対して「犬に注意してね!」という意味なのか、防犯のために「この家には猛犬がいるぜ!」とセコムマークみたいなつもりで作ったのか。それにしても、前回の旅行記にも書いたけど、ポンペイ遺跡には大きな野良犬が多いので、2000年後の今でも、はからずもこのモザイクは、訪問者に的を射た注意を与えているのが何とも可笑しい。

猛犬を見た後、また秘儀荘へ向けて歩く。途中で姉が、「あ!馬車の跡だ!」と言った。

ポンペイ

道の左右に、馬車が通ったような跡があるのがおわかりだろうか。これは、本当に、馬車の車輪跡が道路に残ったものなのだそうだ。こんな風に、ポンペイ遺跡は、古代ローマ人の息吹が聞こえてきそうな、本当に古代ローマを身近に感じられる場所なのである。

ちなみに、道に車輪が通った後のことを「わだち」と言うのだそうですね!いやー、こんな日本語、初めて知った。舗装された立派な道路にかこまれて生きる人生では、なかなか車輪の跡なんて見る機会などないし、そんな言葉を使う場面もなかったのだ。ひとつおりこうさんになったよ!

どうでもいいが、「わだち」って、「わたし」の変化形みたいですね。わたし、あたし、わたち、わだす、わだち…みたいな。本当にどうでもいいが、日本語の一人称って本当に多すぎ。一度使ってみたい一人称は「小生」ですね。「小生、ポンペイに行き…」とかいう風に旅行記を書いたら、このブログの雰囲気もガラッと変わるね!

秘儀荘は、ポンペイ遺跡の外れにあり、とても歩けないってほどの距離ではないが、なかなか遠い。道も舗装されていない(おそらく)古代の道なので、歩きにくく、なおさら遠く感じる。ポンペイ遺跡の広さは、予想はしていたが、予想通り結構広かった。まあ、一つの町がそっくり遺跡として残っているわけだから、広いはずなのだ。

秘儀荘まで行く途中にも、のぞいてみたい遺跡などがあったのだが、こういうのを一つ一つ見て回ると、とてもじゃないけど時間も体力も持たない。グッとがまんして、しゅくしゅくと秘儀荘へと向かう。

フォロから、十数分ほど歩いて、ようやくちょこんとした秘儀荘らしき建物が見えてきた。

柱、かわいいー!

ポンペイ

ほんのりピンクがかった色で、模様が入れられているかわいらしい柱。妙にエスニックな雰囲気を感じる。

さて、秘儀荘の中に入ろう。秘儀荘とは、ポンペイ遺跡の中でも屈指のフレスコ画が残る建物である。フレスコ画大好きな私が、ポンペイで最も楽しみにしていたものの一つだ。

で、秘儀荘の中に入ったのだが、フレスコ画どこ~?たいていの部屋は、窓からちらっとのぞけるだけで、中まで入ることができず、何となくフレスコ画が描いてあるなーということがわかるだけ。…まさかこれで秘儀荘が終わりってんじゃないでしょうね!?
入口から反対側の方に出ると、赤色の背景に描かれたフレスコ画が、三方をぐるーっと取り囲んでいる部屋があった。見まごうことなく、これが有名な「ディオニュソスの秘儀への入信」を描いたと言われるフレスコ画!

で、この部屋だが、ロープが張っているため、部屋の中まで入ることはできない。左壁から、中央、右壁へとフレスコ画が続いているのだが、左右は角度が悪くて見づらく、中央は遠目になるため見づらい。およー。もうちょっとだけ近くで見たいよー!それとも、こんな古いフレスコ画を、見せてもらえるだけでもありがたいと思うべきかねえ。

秘儀荘

目線としてはこのような感じになる。フレスコ画の前にロープが張られているので、そこまでは近づけるのかと思いきや、そもそも部屋の前にロープが張ってあって、部屋自体に足を踏み入れることができない。右側の窓から淡い光が差し込んでいるため、かろうじて光の当たる左壁の絵は見えるのだが、右壁に描かれた絵は、暗すぎて全然見えない。

秘儀荘

こちらが左壁。結構良さそうな絵なんだけどね!左壁は光が当たっているとはいえ、それでも暗く、イマイチよく見えない。

秘儀荘

一番印象に残るのが、距離的にも角度的にも、まあまあ見やすい位置に描かれたこのあたりの絵かな。素ッ裸で何かを読み上げている子どもと、憂いを秘めた表情で、その子供の肩に手を置いて、前方下を見つめている女性。この女性の物悲しそうな視線は印象的だった。というか、描かれている人物の中で、表情がしっかり見えるのが、この女性しかいないわけだけど!

正面、中央の絵も、非常に興味深いのだが、何せ、見えんっ!姉が言った。「変な話だけどね、写真に撮った方がよく見えるよ…」と言って、シャッターを押した。液晶ディスプレイをのぞき込むと、アラ本当。写真のほうがしっかり見えるよ…。

秘儀荘

変なオッサンが、隙間から顔を出してるよ!と思ったのだが、このオッサンの顔はお面で、オッサンの顔の隣りにいる少年が、このお面を手に持っているという図なのだそうだ。いや、私には、オッサンがすきまからのぞいているように見えるよ!秘儀荘絵画の新解釈だよ!

秘儀荘

こちらは、窓のある右壁の絵。こちら側の絵は、光が当たらず、いっさいがっさい見えなかった。が、アラ不思議、写真に撮ってみると、液晶ディスプレイで少し見えるんだねえ。左側に羽根のある子供がいるねえ。ローマ神話のクピド(ギリシャ神話だとエロス)かねえ?右側の女性はうっすらとしか見えないが、「ごめん、今ヘアサロンにいるから!」って感じだねえ。

というわけで、秘儀荘の絵は、あんまりキレイに見えなくて残念だった。もっと晴れた日に行けば、窓からもう少し強い光が入って、ちょっとはしっかり見えるのかなあ。まあ、フレスコ画は保存が難しいらしいので、観光客をあまり近くまで入れないのは仕方がないのかもしれない。

ちなみにこの「ディオニュソスの秘儀への入信」を描いたと言われる一連の絵は、いったい何の目的で、どういう場面を描いたものなのか、詳細は解明されていないらしい。ディオニュソスというのは、ギリシャ神話のお酒の神様だが、お酒の神様だけあって、狂気、カオスのシンボルでもあるらしい。何が何だかよくわからないけど、どことなく神秘的、というイメージは、ディオニュソスさんに似合っているので、謎の壁画のまま解明されないのも、アリだな、と思った。

さて。時計を見ると、お昼はとっくに過ぎていた。ポンペイ遺跡は、まだまだ見どころがあるので、遺跡内のレストランでランチにして、休憩してからまた見学してもいいかなと私は思ったのだが、当初の予定では、遺跡内の美味しくなさそうなレストランで食べるよりは、3時頃に遺跡を出て、FSポンペイ駅と遺跡の途中の道にあるレストランで、遅めのランチを食べる予定だった(4時までに入店すればランチが取れるレストランを調べてあった)。母と姉に聞いてみると、疲れるといけないので、当初の予定通りが良い、とのことだった。

北を上にした地図で見ると、秘儀荘はポンペイ遺跡の左上端。FSポンペイ駅に最寄りの出口は右下端。つまり、ポンペイ遺跡の対角線のそれぞれ端っこに位置するため、最も遠い位置関係になる。何度も書いているが、遺跡内は足場が悪いため、かなり時間がかかりそうだ。また、おもしろそうなフレスコ画の残る「ヴェッティの家」だけはどうしても見学したかったので、途中で「ヴェッティの家」に立ち寄って行くことにした。

地図に沿って歩いて行ったのだが、「ヴェッティの家」は見つからない。おまけに、探している途中で、ザーッと激しい雨が降り始めた!サササッと折り畳み傘を取り出す我々。たいていの見学者は、傘を持っていなくて、皆、雨が防げる場所へと避難していた。今回の旅行は、アマルフィ海岸からずっと、雨雲につきまとわれてるなあ。

この時にすれ違ったアメリカ人とおぼしき二人組の男性が、我々に向かって、「ここはイタリアじゃない、イングランドだよ…」と言い、悲しそうに笑った。この人たちも、我々と同じように、天気に恵まれないイタリア旅行になってしまってるんだろうなあ。

雨はどんどん強くなってきた。「ヴェッティの家」近くにある「牧神の家」の庭に売店があったので、スタッフさんに「ヴェッティの家はどこですか?」と聞いてみると、「今日は閉まってるよ」とのお答えだった。あいやー。その代わり、その売店では、「ま、代わりにこれでも買ってくれや」とばかりに、ヴェッティの家に描かれたフレスコ画のポストカードを売ってたけどね。見てなんぼだからね。買わないね。

というわけで、雨の中、とぼとぼと、出口に向かった。本当に雨は強かった。雨宿りしてもよかったのだが、待ったからと言って、雨が弱くなりそうな気配もなかった。

とぼとぼ、とぼとぼ。傘を伝って落ちてくる雨のしずくが、ぐっしょりとダウンコートを濡らし、コートが重く感じる。そこそこ撥水性のあるコートなのだが、だいぶ濡れたせいで、コートを通して、水が浸み込んできている気がする。私は猫と似た性質の持ち主なので(猫舌、猫背、よく寝るなどなど…)、水に濡れるのは大嫌いなので、何だかテンションが下がってきた。ほぼ治りかけていた風邪がぶり返しそうだ(実際ぶり返した)。

しかも、ポンペイ遺跡は閉鎖している道も多いので、せっかく歩いたのに行き止まりー!という憂き目にも数回出くわした。そうならないように、係員さんに道を尋ねながら歩いたのだが、ここはイタリア。係員さんすら道を把握していなくて、行き止まりにぶち当たった。ここはイタリアだからね。驚きはしないけどさ、ガックリはするよね。

出口まで最短距離で行きたいのに、何度も回り道、遠回りを繰り返した。雨はザーザー。雨の中の回り道。フフフ、何だか人生のようだね。えへへ。………クソーっ!出口が遠いっ!!!

ようやく、本当にようやく、出口にたどり着くと、フォロで我々の写真を撮ってくれた中国人男性が雨宿りしていたので、笑顔で手を振り合って、何となく心がほっこりした。びしょぬれで寒いけど、心はあったかいぜ(今年の旅行記は、よくポエムってるな、私…)。

ポンペイ遺跡を出て、大通りであるローマ通りへと向かった。実は、ポンペイ遺跡に入る前に、ローマ通りでレストランを物色したのだが、その時、金曜は定休日(この日は金曜日だった)と調べてあった、TripAdvisor (トリップアドバイザー)で人気の「Add’u Mimi」というお店が開いているのを見つけた。

お店の外に出してあるテーブルに近所のおじさんたちっぽい人達が座って雑談していて、我々がお店の外観を見ていると、「ここは美味しいぞ!今すぐ入れ、入れ!」と全員で勧誘してきた。「いえ、遺跡を見てから入りたいのですが、ランチは何時まで開いているのですか?」と、どうもこのおじさんたちはお店の人ではなくて近所の人って感じなのだが聞いてみると、「ずーっと何時でも開いているよ!」と皆、口々に答えた、その時。「…クアットロ!」。

一番奥に座っていたガタイのよいおじいさんが、指を4本立てて、「クアットロ!(イタリアで4という意味)」と、厳然と言い放った。それで、「わかりました、4時までにここに帰ってきますね」とおじいさんに言って、我々は遺跡の中へ入ったのだ。
で、時計は3時を過ぎていたが、雨の中、この「Add’u Mimi」に戻ってみた。すると、クアットロのおじいさんが一人、軒先で立っていて、「戻りました~」と言ってみると、大きくうなずいて、中へと案内してくれた。

もうこの時間だから、お店の中はほぼお客さんはいなかった。ウェイターさんがメニューを持ってきてくれて、そのウェイターさんは、我々以外の最後のお客さんを、出口まで送って行った。メニューのことで聞きたいことがあったので、もう一人いたメガネをかけたウェイターさんに「あのー…」と話しかけると、指を一本立てて、細かく震わせた。どうやら、我々の担当は、さっきのウェイターさんのようだ。

担当のウェイターさんが戻ってきたので、いろいろメニューを相談してみると、何度か厨房に確認に行き、「申し訳ない、今日はそれは終わってしまいました」とか「申し訳ない、今日はそれは用意できないです。」とか答えた。その、「申し訳ない」を言う時、このウェイターさんも指を一本ビシっと立てて、細かく震わせる。さっきのメガネのウェイターさんと、その仕草だけでなく、顔もそっくりだ。きっと兄弟だよ兄弟。

時間も遅かったので、ウェイターさんがおすすめしてくれた「SCIALATIELLI」というパスタとニョッキっぽいパスタ、それから「SPIGOLA」というお魚の盛り合わせのようなものを一つずつオーダーし、みんなでシェアすることにした。お通しのパンもたくさん出てきたし、これで足りそうだ。それにしても、TripAdvisor (トリップアドバイザー)に描いてあった通り、値段が安い。観光地ポンペイで、こんな良心的な値段で営業しているのだなー。

最初に、オーダーしたミネラルウォーターが来たので、グラスに注いで、「ポンペイかんぱーい!」と、皆で水で乾杯すると、ウェイターさんが、飛んできた。例のごとく人差し指を一本立てて、「ダメダメダメっ!水で乾杯なんかしてはいけないッ!僕がおごるから、ワインで乾杯すべきだ!」と言って、白ワインを持ってきた。「すみません、母はアルコールは飲めないのです」と言ってみると、「いいんだ、いいんだ、飲まなくて!グラスを合わせるだけでいいんだ!」と真剣そのもの。

…観光地で、こんなオゴリと称したものを受けてはいけないというのがセオリーなのだが、有名店だし、評判も良いし、なぜかぼったくられることはないだろうという確信もあったため、ありがたくオゴリを受けた。何せ、このウェイターさんの瞳があまりに澄み切っているのだ。

そして、最初にパスタが二皿出てきた。ウェイターさんは、丁寧に英語で説明をしてくれた。私と姉が一発で英語を理解できない時は、2回目はものすごーくゆっくり単語を区切りながら、大げさな身振り手振りで話した。彼いわく、「SCIALATIELLI」という名のパスタは地元料理だそうで、「ティピカル・フード(Tipical food。つまり地元の名物グルメ)」だそうだ。「ティピカル・フードは、とても重要です!」と彼は言った。

トマト風味のこの「SCIALATIELLI」と、チーズのたっぷりかかったニョッキが出てきたが、彼は、「最初にSCIALATIELLI、次にニョッキを食べることをおすすめします」と食べる順番まで決めた。従順な日本人観光客はそれにおとなしく従った。

「SCIALATIELLI」は美味しいな~と一口、二口食べた所で、ウェイターさんががにじり寄ってきた。「今日はイタリアは女性の日です。日本でもそうなのですか?」と聞いてきたので、「いえ、日本には女性の日はありません。3月3日が女の子の日ではあるのですけど」と答えると、「そんなバカな!こんな素晴らしい日が日本にはないなんて!」と言い、彼は、引っ込んでいった。そして、あるものを手にして戻ってきた。

ポンペイ

「イタリアでは、女性の日には男性が女性にミモザの花を贈るのです。少しずつですが、どうぞ」。

おおーっ!今の今まで、女性の日は美術館・博物館が女性だけ無料になるってことしか頭になかったけど、初めてイタリアで女性の日にミモザをもらったぞー!花よりダンゴ派(どんな派だ)の私も、さすがにこれは嬉しかった!ありがとう!このお店自体、普段は金曜日は定休日なのだが、女性の日なので予約が入っているため、今日は特別に開けているとのことだった。ポンペイ遺跡が女性の日でも有料だったため、今年の女性の日は特典がなかったなーと思っていたが、お金より思い出だよ!(またポエムってるよ)

彼はまた厨房に戻って行き、厨房で彼が「帰れソレントへ」の一節を(出だしの4小節だけ)美声で歌う声が響き渡った。それで、我々は食事に戻ったのだが、数口食べると彼がまたにじり寄ってきた。何でこのお店を知ったのか?と聞くので、TripAdvisor (トリップアドバイザー)だと答えると、これまでこの店を訪れたことのある日本人の話を始めた。プロフェッサー・フカザワ(?)という常連客の話でひとしきり盛り上がった。

パスタの次には魚料理が出てきたが、この魚料理も「ティピカル・フード」だそうで、彼はまた「ティピカル・フード」の素晴らしさを演説した。この魚料理を食べている時も、彼は何度もテーブルににじり寄ってきた。店内に飾ってある大きなビンや、古い調理用具を持ってきて、昔どうやって使っていたかをそれはそれは熱心に話し始めた。非常に楽しいお話なんだけどね、話ばっかり夢中に聞いていて、我々、全然食べてないよ!ランチにきたというよりは、彼のトークショーにオプションでランチが付いてきたという様相を呈してきた。

彼は厨房に戻ると、必ず大声(だが美声)で、「帰れソレントへ」の最初のフレーズを熱唱していた。そのスキに我々は急いで食事をするという有様。彼は次のネタが考え付くと、すぐテーブルににじり寄ってくるのだ。

「ポンペイではドゥオーモは見ましたか?」と聞くので、「いえ、まだ遺跡だけです」と答えると、「ドゥオーモもぜひ見て帰って下さい。ポンペイ人の心の拠り所なのです。ここポンペイは、遺跡、ドゥオーモ、これで全てです」と言う。それに対し、姉が、「それと、このグッドレストランもありますね」と言うと、心臓に手を当てて、「インマイハート!」と感無量だった。

そして彼は私を見て、ハッと息をのんだ。「いけない!あなたは雨にびしょぬれじゃないですか!ちょっと待ってて!」と言って店を出て行った。…そして、彼の大声が外から聞こえた「マンマー、マンマー!!!×××はどこー!?」。…ま、まさか。

そう、彼は隣接している自分の家から、何とドライヤーを持って戻ってきたのである!!!我々のテーブルに最寄りのコンセントにプラグを差し込み、ハイっ!と満面の笑みで渡された。

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「…これはね、きちんと乾かさないと許してもらえないよ…」と、マジ顔で、必死に私を乾かす母。私たち、旅行先のレストランでいったい何をしてるんだろ…。

食後に「ティラミスはありますか?」と聞いてみた。彼は、人差し指を細かく震わせた。「うちではティラミスは作っていません。ティラミスはイタリアのお菓子として世界では有名ですが、ティピカル・フードと呼べるものではありません。グローバル化が進んでから作られた、新しいお菓子なのです」。そこで、彼に今日用意できるケーキを説明してもらって、その中で3人とも好きそうな、リコッタチーズを使ったケーキをひとつ、3人で少しずつ食べるつもりで注文した。

そのケーキが出てくる前に、彼は「これはサービスです」と言って、食後酒を持ってきた。ちいさなグラスに、レモン色のお酒が入っている。「これは何だと思いますか?」と聞かれたので、「リモンチェッロですか?」と答えると、満面の笑みで「違うんです!まあ、飲んでみてください!」とのお答え。

飲んでみると、スッキリさわやかで美味しい~!「美味しいです」と言うと、「そうでしょう?リモンチェッロは、甘いから、デザートの前に飲むには向かないんです。フィノッキオという植物を知ってますか?(スマホの画面に画像を出して)コレです。このお酒は、このフィノッキオから作ったものなのです」と、意気揚々と語る彼。

そしてケーキが出てきた。1つしか頼まなかったはず…なのだが、違う種類のものが3つ出てきた!!!「ええ、ええ、あなた方がオーダーしたのは、このリコッタチーズのケーキだけです。残りの2つはぜひ食べて頂きたくて、僕がおごるものです。こちらはチョコレートケーキです。そしてこちらは、ティピカルなケーキなのです!!!」と言って、彼は、メモ帳を取り出して絵を描いた。

「こんな形のケーキを見たことありませんか?」
↓本当に彼が描いた絵
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姉が「あっ!」と言った。「ナポリに行った時に見たことがあります!」。彼は大きく頷いた。「そうなんです。これはカンパーニャ州の名物のケーキで、ラム酒がたっぷり入っているケーキなのです。この形状が有名なのですが、うちでは丸く焼いて作っているので、それをカットしてもってきたため、三角形なのです。味は、同じです」。

彼の進撃は続く。「あなたたちさえ良ければ、チョコレートケーキ→リコッタチーズのケーキ→ラム酒のケーキの順に食べることをおすすめします」。

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つまり、この順番で食べろってことね。

母はチョコレートが苦手なので、チョコレートケーキを少し食べた後に、リコッタケーキに移ると、彼がすっ飛んできた。「違います、違います!1、2、3の順です!」と、ケーキを指さす…。あなたたちさえ良ければとか言ったくせに、その順番をくつがえしちゃいけないってことね。もう母は完全に圧倒されて、「あんたたちは早くそのチョコレートを食べ終わって!じゃないと、彼がチーズのケーキは絶対に食べさせてくれないよ!」とマジ顔だった。

食べ終わると、彼はまたにじり寄ってきた。「どのケーキが一番好きでした?」。皆チーズのケーキのお皿を指さすと、彼は無念そうに、「そうですか…。プロフェッサー・フカザワもそう言ってました。でも、僕はやっぱりこれです(と言って、ラム酒のケーキのお皿を指さす)。これが僕らのティピカル・フードなのです」。

彼のトークショーもいよいよフィナーレが近づいてきて、我々はお勘定をお願いした。これだけ食べたのに、食前ワイン、食後酒、ケーキ2つは彼のオゴリの上に、テーブル代もおまけしてくれたので、3人で50ユーロくらいしかかからなかった。彼は、お店の名刺の裏に、今日我々がオーダーした料理名を書いてくれた。

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よくよく見ると、綴りがアヤシイものもあるけどね。それでも、彼の話す英語は、私よりもずっと多彩でわかりやすかったのだ。英会話というものは、技量ではなくハートなのだね(またもやポエム)。

彼は「このレストラン、この味を忘れないでください」と最後に言った。姉が、「それからあなたのことは決して忘れないでしょう」と言うと、「いやいやいや!僕なんかどうでもいいんです!ティピカル・フードがインポータントなのです!ティピカル・フードのことをどうか覚えていてください!」と、彼は締めくくった。

何だか感動的な空気が流れる、ポンペイの午後。だがティピカル・フードがインポータントと言われても、彼がひっきりなしにしゃべりかけてくるので、フードはトークのおまけって感じだったのが可笑しい。

彼はお店の出口まで送ってくれて、そこから道路の方に出ようとすると、あの「クアットロ」のおじいちゃんが出口の椅子に座っていた。きっとこのおじいちゃんは、このレストランのオーナーのような存在なのだろうな。我々を見て立ち上がり、一人一人に握手を求めてきた。しわくちゃな手を握り返し、「グラーツィエ!」と答える私たち。おじいちゃんが道路まで送ってくれて、手を降って見送ってくれた。

雨はすっかり上がっていた。日まで照っていて、道路の水たまりがキラキラと光っていた。母は言った。「おじいちゃんは、私たちが4時までに戻ってくるって言ったから待ってたんじゃないのかなあ。日本人は約束を守ると思って、あの雨の中、私たちが戻ってくるのを信じて、お客さんは誰もいないのに厨房を閉めずに待っててくれたんだよ」。もしそうだとしたら、あのおじいちゃんとの約束を守れて本当に良かった。

駅までの道すがら、ドゥオーモにもちょっと立ち寄ってみた。大きな特徴はない聖堂だったが、ウェイターさんが言った通り、ポンペイの人々を見守っている聖堂なのだろう。遠い昔、ポンペイは灰に埋もれて消えて行った。しかし、町は再生し、人々はドゥオーモに見守られながら、ティピカル・フードを食べながら、明るく生きている。ポンペイは「遺跡」ではなく、今でも「生きている町」であることを実感した、そんなポンペイ遠足となったのであった。