3/17パドヴァ旅行記7 こんなに写真がヘタなのは疲れているからだ

パドヴァの「超シンプル!南北に一路線が走っているだけ!間違える方が難しいよ!」というトラムに、乗り間違えたというプチ波乱はあったものの、何とか北の方まで戻ってこれた我々。

さて、ここからやりたいことは、「パドヴァカードの元がとりたい」…ではなくて!他のパドヴァの見どころに入るよ!

入りたいのはラジョーネ宮(パドヴァカードで入れる)。「サローネ」という別名でも呼ばれる。占星術をモチーフにしたフレスコ画があるらしい。ほら、私星座が好きなんだよ~。星占いにはあまり興味がないが、星座は好き。これってどういうことなのか、自分でもよくワカラナイ。

ラジョーネ宮は、ヴィツェンツァのバジリカに似た感じの、2階に軽快なアーチがずらーっと並ぶ、デッカイ体育館のような建物である。

で、ラジョーネ宮の外観を紹介しようと、自分が撮影した写真の画像を探してみるのだが…無い。いやー、実は、このあたり、私は結構疲れていたのだ。本当にパドヴァは走り回りすぎて疲れた。そして、毎回同じ反省なのだが、今回という今回は誠実に反省することにした。「忙しすぎる旅程は作らない」。

長い風邪をひくことで、ようやく本心から悟ったよ。痛い目を見ないと学べない、私とはそういう人間なのだろう。おかしいなあ。経験論より合理論の方が好きなんだけどなあ。

パドヴァ ラジョーネ宮

こちらがラジョーネ宮の内部。本当に広い。そして数え切れないほどのフレスコ画で埋め尽くされている!真ん中のお馬さんは、サンタントニオ聖堂前の、ドナテッロ作の騎馬像の馬さんのコピーだそうだよ。

イヤ、本当にラジョーネ宮は素敵だったんだけど、私は疲れていた。人間は疲労すると、もともと自分が弱い部分にガタが来るのだろう。もともと私は写真下手だが、ラジョーネ宮で撮影した写真の出来は本当にヒドかった。

ラジョーネ宮

悪魔君たちみたいなのがいたので撮影したのだが、何でこんなに中心がずれている上にぶれているのかわからないし。

ラクダ。なんでこんなに左側に寄っているのか意味不明だし。

これなんかもはや、現代アートである。

とにかくラジョーネ宮は広く、ひとつひとつの絵を見ようと思うと、壮絶な時間がかかる。しかし、ひとつひとつの絵がおもしろい。座れる椅子もあるので、私は座って休みながら、ゆっくりと眺めることにした。

私の写真は絶句するほどヒドイが、気を取り直して、姉がまともな写真を撮影していたのでご紹介しますぜ。

パドヴァ ラジョーネ宮

ラジョーネ宮のフレスコ画は、こういう風に分かれた小窓に描かれている。

パドヴァ

パドヴァ

農作業や狩、手仕事の様子が書かれていて、イタリアの中世からルネサンスまでの時代の作品で時々見かける、12か月を表したフレスコ画になっている。

12か月をモチーフにした絵や彫刻は、庶民の生真面目で生き生きした動きが伝わってきて、宗教画とは違う魅力がある。

入場時に、英語のパンフレットをもらえるので、パンフレットと照らし合わせながら見ると、どこに何月が描かれているのかを楽しみながら鑑賞できる。

また、各月は、その月を司る星座によっても判別できる。

パドヴァ ラジョーネ宮

こちらは9月の近くに描かれているおとめ座。

パドヴァ ラジョーネ宮

1月の近くに描かれているうお座。

パドヴァ ラジョーネ宮

12星座モチーフや、庶民の労働だけでなく、キリスト教モチーフの絵も描かれている。

もともとラジョーネ宮は、裁判のための建物として建てられ、最初はジョットとその弟子たちによるフレスコ画が描かれていたらしい。そのフレスコ画は、「アバノのピエトロ」という、パドヴァ大学の哲学者・占星術師の思想をもとに描かれたそうだ。15世紀の再建で、フレスコ画は描き直されたため、現在見ることができるのは、ジョットの絵ではない。

それにしても、パドヴァすごいなあ…。スクロヴェーニ礼拝堂だけ見て、ヴェネツィアに行ってしまう観光客は多いだろうが、ヴェネツィアのおまけのようにパドヴァに寄るのはもったいないように思った。我々も、パドヴァは1泊すればよかったなあ。そうすれば、こんなにラジョーネ宮でぐったりすることもなかったかもしれない。

パドヴァ ラジョーネ宮

こちらは、部屋の外、バルコニーの部分。ここの天井もボタニカル柄が描かれて非常に美しかった。ここは柱、もしくは手すりにもたれて、「私とパドヴァ(ハート)」という写真を撮るのにおすすめである(何のこっちゃ)。

ラジョーネ宮で座りながら鑑賞したおかげで、少しだけ元気も出てきた。ラジョーネ宮のすぐ近くには、カフェ・ペドロッキがある。もう1回カフェに入るという案もあったが、さすがにケーキ食べすぎなので、博物館になっている、カフェ・ペドロッキの2階部分に入ってみることにした。

パドヴァ

戻ってきました、カフェ・ペドロッキ。カフェ・ペドロッキは、いろんなところに入り口があるが、博物館は、カフェ・ペドロッキの正面玄関のような、ペドロッキ広場に面した場所から入る。パドヴァカードで入ることができる。

1階のカフェ・ペドロッキはいつでもお客さんで賑わっているが、2階は非常に静かであった。

パドヴァ

2階部分は「piano nobile(ピアノ・ノビーレ)」と呼ばれる。ピアノ・ノビーレは直訳すると「高貴な階」となるが、ウィキペディアによるとピアノ・ノビーレとは、高貴な建物の中で、特に主要となる階を指す言葉らしい。

つまり、カフェ・ペドロッキが入っている建物で、最も重要な階は、1階のカフェではなく、2階のこういうエレガントなお部屋たちなのね。1階のカフェも、すでに大変にエレガントなのだけど、2階は飲食禁止なくらいエレガントなのね。一応私の部屋のこたつも飲食禁止なんですが…(単に掃除がめんどうなだけ)。

カフェ・ペドロッキ

きらきら光るシャンデリア。こういう部屋好きかと言われると…うん、やっぱり好きだね!だって女の子…だったもの!(さすがに過去形)

パドヴァ

妙にエジプトっぽい部屋もあった。

こういう美しいお部屋も素敵だが、歴史が好きな人にとっては、パドヴァがイタリア独立の際に、オーストリアと戦った時の貴重な資料が残る部屋も興味深いだろう。

パドヴァ

カフェ・ペドロッキは、対オーストリアの拠点となったカフェでもあるそうだ。かつて自由とは、戦いによって勝ち取るものであった。先人たちが血を流して勝ち取った自由を、現代の私たちは漫然と享受している。失ってから気づくのでは遅いものとしては健康が代表的だが、自由もそうなのかもしれない。

最後に、通りに面した部屋があったが、のぞいてみると、なぜか裸足の若い男女がいて、見つめあっていた。え?何?演劇の練習?地元の人?学生さんっぽいんだけど、アルバイトの監視員さん?

なぜ有料入場のカフェ・ペドロッキ2階で、ランデヴーしていたのか、そしてなぜ裸足なのかは謎だが、観光客の我々に気づくと、すごく気まずそうに、お互いに不自然なくらい離れて、スマホをいじり始めた。いや、すぐ出るから!邪魔してゴメン!

さて、カフェ・ペドロッキを出ると、少し空も暗くなり始めていた。本日最後のイベント、二度目のスクロヴェーニ礼拝堂18時15分に向けて歩いていく我々。スクロヴェーニ礼拝堂前に行くと、今度は団体ツアーと一緒の回で、今回もマックスの25人であった。

我々が体温調整室に入る際、前の前のグループが出てきたが、たった4人だった。いいなあ!キャンセルが出たのかなあ?それとも貸し切り料金だったのかな?

体温調整室で見るビデオは今日2回目。すでにお昼に聞いた内容だったので、私はこの15分を、何と睡眠に使った。ホラ、オフィスとかで10分眠るのだって疲れが取れると言うじゃないの。私はとーーーっても疲れていたのである。

今回のスクロヴェーニ礼拝堂鑑賞は、もう写真はほとんど撮らなかった。お昼に何枚も取ったので、今度の15分はじっくりと鑑賞に使い、お昼にほとんど見れなかった内陣側も見た。

パドヴァ

内陣はこちら側。受胎告知の絵などがある側。

今回は、ほとんど写真を撮らずに、鑑賞に集中したのに、それでも15分では全く足りなかった。「雰囲気だけ分かればよし」という漢らしい心持ちでない限り、スクロヴェーニ礼拝堂は15分では全足りない!私みたいなゆっくり派には、15分×2でも全然っ足りないっ!足りないということが分かっただけでもよしとするか。

(写真をたくさん撮ったお昼のスクロヴェーニ礼拝堂の旅行記はこちら→3/17パドヴァ旅行記4 人の創りし青き天国

スクロヴェーニ礼拝堂を出ると、また、黒猫お兄がいた。「お兄~!!!」と手を振ると、「ゲ。お前らまた来たのかよ!?」と、足早に去ってしまった。ツンデレなお兄。非常に非常に忙しかったパドヴァ歩きは、お兄で〆となったのだ。

パドヴァ

おまけ。BIASETTOからフェラーラにお持ち帰りしたお菓子。フェラーラでは美味しいお菓子屋さんが見つけられなかったので、フェラーラよりパドヴァの方が印象がよいのはなぜだろうか(いや、アンタ今自分で理由言ったでしょ)。

3/18フェラーラ旅行記5 星座の通り道は神秘的へ続く