本日のイタリア旅行記メニュー
今年のイタリアには、ギリシャから船で入る。(このイタリア旅行記はギリシャ旅行記2017からの続き)
ギリシャ北西部の、イグニメッツァという港から、イタリア南東部の港町ブリンディシまで、9時間程度の夜行フェリーの旅である。
イグニメッツァ港では、非常にヒドイ目にあった。船は、深夜3時に、2時間遅れてやってきた挙句、船の横で、大型トラックが出て行くのを30分も排気ガスにさらされながら、待たされた始末。しかも私は風邪っぴき。これは何の試練だろうか。
今回予約しているのは「Grimaldi lines」の船。深夜1時にイグニメッツァ発の予定だったのに、船に乗り込んだのは、深夜3時半であった。
風邪引きの体調で、眠さと、排気ガスにやられて、もはや意識が朦朧としている私であったが、一応、「Grimaldi lines」のスタッフさんは、笑顔で迎えてくれて、予約してある個室(キャビン)まで、スーツケースを運んでくれた。これで、私の試練も終わったかな?とチラとでも考えた私は、甘かった。
こちらは船室。なかなかこぎれいにしていて、眠りやすそうである。
こちらはトイレとシャワー。手狭ながらも、お掃除は行き届いていて、使いやすそうである。画像には写っていないが、タオル、石けん、ビニールカップの備えはある。
さて、たった9時間程度過ごすだけの船室、ベッドも眠りやすそうだし、トイレ・シャワーもそれなりに清潔だし、何か問題でも?とお思いになるであろう。
問題は!ク、クサイのである!
これは、何の臭いかというと…おそらく、湿気の臭さである。いったい、何ヶ月換気していないのであろうかというような、空気の悪さ。
しかし、私は風邪のため、鼻がつまっていたので、ダメージは浅かった。もろにダメージを食らったのは姉である。姉は、始終、顔をひん曲げていた。
まあ、それでも、こんなシンドイ体験も、きっと終わってしまえば笑い飛ばせるのだ。とにもかくにも疲れていた私たちは、それぞれベッドに滑り込んで、眠った。幸いなことに、寝心地は悪くなかった。
船室の窓から、遠ざかっていくイグニメッツァ港が見えた。バイバイ、イグニメッツァ。
この港で受けた仕打ちを考えると、今後、この港に戻ってくる可能性は低い。これから、ギリシャからイタリアに渡る際は、パトラ港を使うか、飛行機移動することになるだろう。でも、パトラからイタリアに行くなら、必ず経由することになるので、今生の別れにはならなそうだなあ。
よっぽど疲れていたのか、私は、5時間ほどで、ピタッと目が覚めた。普段の私なら、5時間の睡眠というのは短く、二度寝してしまうところなのだが、相当深く眠ったらしく、目が覚めた瞬間から頭が冴えていた。
船で横になって眠ると、緩やかな波のうねりが背中から伝わってきて、私には非常に寝心地がよいリズムとなるのである。ウォーターベッドでなく、ウェーブベッドみたいなものを開発したいくらいだ(したいだけ。できるとは言ってない)。
おはよう、アドリア海。朝日はとっくに昇っていた。
睡眠には貪欲な私なのだが、せっかくスッキリと目が覚めたものを、二度寝する必要もないので、シャワーを浴びてスッキリすることにした。こんな船室だから、期待はしていなかったが、熱いお湯がしっかりと出て、気持ちよくシャワーを浴びることができた。
シャワーから出ると、姉も目を覚ましていた。鼻が詰まっている私と違い、部屋の悪臭にさらされ続けている姉は、目を覚ましたそばから不機嫌そうだった。「シャワーは予想以上に気持ちよく出たから、浴びたら?」と提案してみると、不機嫌そうにシャワー室へ入っていった。
ドライヤーは部屋には備えてなかったが、我々は小さなしょぼいドライヤーを、こんな時のためにスーツケースに入れてあるので、髪を乾かして着替えたら、だいぶ昨日からの仕打ちから立ち直ってきた。
姉がシャワーから出たら、こんな臭い船室に閉じこもっている必要はないので、甲板にでも出てスッキリするといいだろう。時計を見ると、朝の8時半くらいだった。予定では、もうブリンディシに着いている時刻だが、イグニメッツァ港を出る時に、既に2時間半遅れていたので、到着はまだまだのハズだ。
姉がシャワーから上がり、着替えていると、ドアをノックするような音が聞こえた。廊下の音だろうと聞き流していると、何と、廊下から、鍵を勝手に開けられたのである!!!
着替え中だった姉は、「キャー!」と悲鳴を上げた。そこには、船のスタッフと思しき不愛想な男性が立っていた。勝手にドアを開けられて、さすがに頭にきた私が、廊下に出て、「何事ですか?」と聞くと、「もう8時半だ。キャビン(個室)を出てくれ」などと言う。
「え?遅れてたのに、もうブリンディシに着くんですか?」と驚いて聞くと、「いや、まだまだだ。でもキャビンは8時半には出てもらうことになっている」とのこと。
いや、聞いてないし、どこにも書いてないよ。だいたい、そっちの都合で2時間以上遅れてるんだから、到着時刻になったからって、まだ到着してないのに出ていけっておかしいだろ!
…とか、もろもろの言い分はあったのだが、風邪で声が出ないのと、語学力のなさと、あと、この臭いキャビンはどうせ出ようと思っていたこともあり、「わかりました。でも、見ての通り着替え中だったので、今すぐには出れません。準備ができたら出ます」と答えた。
不愛想なスタッフは、勝手に開けてゴメンねの謝罪もなく、次は隣の個室を追い出しにかかった。隣からは、ドイツ人っぽい感じの男性が出てきて、私が言いたかった文句とだいたい同じようなことを、主張している英語が聞こえてきた。しかし、不愛想スタッフは、聞き入れていなかった。
「何なの…」と、怒り心頭の姉。私もふつふつと怒りが沸いてきた。そこで、せめてもの抵抗で、急がずに、こっちのペースで船室を出る準備をした。グリなんかの言いなりになってたまるか。そう、「Grimaldi lines」は、さまざまな不快さを積み上げて、既に正式名称ではなく、「グリ」と呼ばれるようになっていた。後で考えたら、ぐりとぐらに失礼であった。
しばらくすると、ドンドンドン!と、「さっさと出ていけ」というメッセージでドアが叩かれた。私は「スィ、スィ、スービト(わかってるよ。すぐ出るから)」と、怒鳴り返した。そして、次は、隣の部屋がドンドン叩かれていた。隣のドイツ人男性も、さっさとは出て行っていないらしい。当たり前だっつーんだよ。
さっさと出ていけっつったのはアンタらだからね、と、我々は普段なら「来た時よりも美しく」の精神で、ある程度は出ていく部屋は整えるものなのだけど、忘れ物がないことだけ確認したら、ヒドイ有様で部屋を後にした。
3年前にギリシャからアンコーナまで乗船した「Superfast」は、ビュッフェやカフェ、レストランなどがあり、明るくてきれいな船だったが、グリには、たったの一か所、食事やお茶を取るだだっ広いスペースがあるだけだった。
もともとは8時半着のはずだったので、船の中で朝ご飯を食べるつもりはなかったのだけど、あと2時間は船の中で過ごすことになりそうなので、朝ご飯を食べることにした。
ここが、唯一のグリのレストスペース。もさっとした写真だが、本当にこのスペースはこの写真通りにもさっとしていた。
観光客らしき人々は少なく、屈強な感じのオヤジばっかりが座っている。私は直感で、「この人たちは大量に積まれているトラックの運ちゃんだな」と感じた。正しいかどうかはオヤジたちのみ知る。
朝ご飯はビュッフェ形式で、クロワッサンやヨーグルト、オレンジジュース、あと、目玉焼きやベーコンなどもあった。時間がたっぷりありそうなので、多めにトレーに載せたら、二人で€18くらいになった。多めに載せたとはいえ、高い。グリのやつ。会計してくれたおじいさんはいい人だったけどさあ。
あとは、ぼんやりと、船がブリンディシに着くのを待つのみだった。以前乗った「Superfast」は、あちこち船を探検する楽しさがあったけど、グリは、ここしかスペースがないので、遊びようもない。
あーあ。本当は朝8時半着のハズだったから、ブリンディシでは海沿いのカフェで朝ご飯を食べて、ちょっとだけ港町ブリンディシの空気を楽しむつもりだったのに、その時間は完全になくなったなあ。それもこれもグリのせい。
姉はレッチェをかなり楽しみにしているため、「早く着けばいいのに…」とイライラしていた。私は、グリをかばう気持ちが一切なくなっていた。私の頭の中には「二度とグリには乗らない」という格率が、形成されていた。
しかし、姉も私も、怒りつつも諦めていた。グリのもっさりとした暗い船内は、希望とか情熱とかそういうものをトーンダウンさせる空間だった。とにかくいつかはブリンディシに着く、その時にはグリとおさらばできる。それだけで十分であった。姉と私は、おとなしくレッチェの予習をしながら、淡々と椅子に座っていた。
ブリンディシが見えてきたころには、もう11時が近かった。2時間半の遅れ。そういえば、以前乗った「Superfast」も、船自体は綺麗だったけど、2時間くらい遅れた。ギリシャからイタリアへ船移動するのは、もうやめにしようかな、と、ぼんやりとブリンディシの岸辺を見ながら思った。
ブリンディシのカッコいい城塞が見えてきた。よし!心機一転、新しい岸辺から新しい旅の始まりだゼ!これでグリを降りられるゼ!
これが二度目のギリシャ→イタリアの船旅だったので、我々は船が港に着いてから、乗客が船を降りるまで、法外な時間(シャレじゃなく30分くらい)かかることを知っていたので、停船してからもトイレに入ったり、だらだらと椅子に座って過ごした。
予想通り、人間が降り始めたのは、停船してから30分ほど経ってからだった。それだって、船を降りるルートがよくわからず、ぐるぐる回ったりして、ようやくグリから解放されたのであった。