イタリア旅行記ブログ イタリア旅行は楽し

イタリア旅行大好きの管理人が、実際にイタリアに足を運んだ経験・情報に基づいて、イタリア旅行情報を発信してます。
旅行記や個人でのイタリア旅行のコツ、サッカー観戦情報もございます。

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3/12ローマ⑤~すべての道は、ウンコに注意!

<本日のイタリア旅行記メニュー>
●サン・ピエトロ大聖堂
●教皇の逃避路
●サンタンジェロ橋の夕日

 白々と光が差し込み、私は目覚めた。ここはどこ、私は誰?

 時計を見ると、朝の6時過ぎ。どうやら私も姉も、昨晩サッカー観戦から帰ってきて、そのまま顔も洗わずに、着替えもせずに、着の身着のままで眠ってしまったらしい…。窓を開けると、朝のローマの風景がさわやかに広がっている。ローマ帝国が滅びても、ASローマがCLを敗退しても、世界はまだまだ続くのだ。

 「顔洗って、もう少し寝ようかなー」と私が言うと、姉「私は、朝食を食べに行くよ。また寝たら、朝食の時間を過ぎてしまうかも」。姉は、食料にありつくことには余念がない。ここのB&Bは朝食代込みなので、なおさらである。私は姉のエネルギーに引っ張られて、隣のホテルの最上階まで朝食を食べに行った。ここのホテルの朝食は、味は…だったが(姉は激怒した)、眺めが最高で、水色のサン・ピエトロ大聖堂がすばらしい角度から拝める。姉はピシッとサンピエトロを指差した。「今日はあそこに行くよ!」。ビュッフェ形式の朝食だが、それにしてもアメリカ人やスペイン人は良く食べるなあ…。ヌテッラの山。

 部屋に戻ったが、私は眠くて眠くて仕方が無く、午前中は寝ることにした。姉は、「じゃあ、私はこの辺を散歩してくる」。本当に、このパワーはどこから来るのか…。私が寝ている間、姉は行きつけのジェラテリア(Old Bridge)まで行って、いろいろ実験してきたらしい。「一つのカップに3つまでフレーバーが選べるよ!」。本当に、このパワーは…。

 お昼まで寝ると、私も元気が出たので、いざ、サン・ピエトロ大聖堂へ。姉は私が寝腐っている間に、道を確認してきたらしく、「こっちだよ!」と、私は現地人にガイドされているようだった。向かう途中にものものしい門があって、派手でフザけたピエロみたいな制服を着たスイス人(スイス人て何となく見た目でわかる)衛兵がいた。あ、そっかー、サン・ピエトロ大聖堂ってイタリアじゃないんだー。でも、こうやって国境を足で越えると、国境なんて決まりごとに過ぎないことが実感できる。地球も勝手に線を引かれて、迷惑な話である。

 バチカン美術館とサン・ピエトロ大聖堂って同じ場所にあるはずなのに、何で違う道を通っていくんだろう…と疑問に思ったが、姉に聞くほどの情熱もなく、私はただただ無の境地でついていく(正解は、入り口が違うから)。でも、無の境地はまずい。なぜかって、犬のウンコがすごい頻度で道のあちこちに、障害物競走のようにしかけてあるのだ。絶対確実によけたい障害物である。イタリア自体、どこの町でも多かったが、ローマは特にひどかった。滞在した5日間、ずっと同じ場所にあって、もうよけるのに慣れたウンコもあった。踏んでも運がつくさ!なんて言っている場合ではない。旅行中は靴も限られているので、歩くときは、スリだけでなくウンコにも気をつけましょう。スーツケースでひいたりしたら、さぞかし悲惨であろう…。

 しばらくすると、目の前にTVなどでよく見る大きな広場が現れた。バチカン~。内部見学無料なので(美術館で収益を得てるから余裕)、また荷物検査も比較的厳しいため行列が出来ている。姉「先に、上まで登るよ。そしたら、サンピエトロの内部に降りて来れるから。サンピエトロ内から見学したら、上に登るには列に並び直さなければならない」。ハイ、何でも仰るとおりに致します。クーポラへ登るのは有料。地球の歩き方の情報より値上げしていた。心臓の弱い人は、エレベーターを使うようにと結構目立つ所に書いてある。もちろん階段。私のハートは平気さ!

 最初は、外が全然見えない螺旋階段を延々と登った。私「つまらないー!外が見えないー!」。ミラノのドゥオーモも、フィレンツェのとうろう改め鐘楼も、外を眺めながら登れたのにー!関係者以外立ち入り禁止のドアがあちこちにあって、開けたくなる(これは母の血)。しゅくしゅくと上った。ひたすら上った。…疲れた。これは、昨日の疲れが残っているというレベルではない。単純に、階段数が、多いのだ!ひえーー…。後ろから、大股でアメリカ人観光客が何度も迫ってきて、先に行ってもらった。階段って足が長い方が速く上れるんだなあ~。そして、だんだん階段は狭くなる。そして、狭いだけでなく、斜めって来た!
斜めった私
 クーポラを登ってるよー!クーポラを!という実感が沸いてきて、とたんに楽しくなった(笑)。が、登りがきついのは変わりなし。ぜえぜえ言いながら、ようやく頂上へー!登ったー!サンピエトロのクーポラ登りは本当にきつかったので、体力に不安があって貧乏でない人は、エレベーターを使って下さいね

 クーポラからローマの町を見渡すと、全体的にオレンジ色。そして、ずーっと平野が続いている。サンタンジェロ城まで続いている「教皇の逃げ道」がはっきり見えて、楽しい~♪姉が何の変哲もない建物を指差し、「あの中が多分システィナ礼拝堂だよ」。へー、内部はぜってぇ手放せない世界遺産なのに、外側は何か普通の公民館みたいなんだー(笑)。正面へ行くと、まっすぐにサン・ピエトロ大聖堂まで一本の道が続いているのが分かる。神社の参道みたいだった。どんな宗教も、行き着く先は似てるなあ。これは偶然かしら?構造かしら?伝播かしら?かしら、かしら。

 展望台から中に入ると、サン・ピエトロ大聖堂の上部が近くから見える。この大聖堂自体は、外観もミラノのドゥオーモさんやフィレンツェのドゥオーモちゃんに比べると普通で、モザイクもラヴェンナの出来に比べてイマイチだが、クーポラの内部の作りだけは気に入った!クーポラの中にさらにクーポラがあるのである!もしかしてだまし絵なのかもしれないが、興味のある人はぜひ、観察してみてください。あんまり誰も気づかないようなところが凝ってるのが心ニクイ。

 そして、下にとことこと降りる。行きと帰りは別ルートで、途中で一休みできるトイレ休憩所みたいなところがある。そこから最後はエレベーターに乗って、大聖堂の1階へ降りる。内装はカトリックの総本山にしては、それほどド派手でもなく、荘厳でもなく、と言った感じ。まあ、メインは美術館に集めてあるからなー。ただし、ここにはミケランジェロのピエタがいます!あの筋肉マニアのミケランジェロにしては、大変に優美なラインで、聖母の顔が慈愛に満ちていて、心癒される作品でございました。何というか、見せ方も大変上手。少し高いところに、淡く光が当ててあります。

 ピエタに癒されて、サン・ピエトロ大聖堂を出ると、ちょうどスイスの衛兵の交代時間で、観光客が群がって写真を撮っていた。交代の変な儀式をしていた。平和だった。とりあえず、我々は、例のジェラテリアへ行って、一休み(姉はこの日2回目だねえ)。すっかりジェラテリアマスターとなった我々は、3つのフレーバーをカップに入れてもらって、最後は「こんぱんな(=上に生クリームをのっけてね)」と言って、生クリームをもりもりのっけてもらった。イエーイ!ジェラート最高!

 その後、「教皇の逃げ道を伝って、サンタンジェロ城まで逃げよう!」ツアーを組むことにして、逃げ道を壁沿いに歩く。逃げ道というのは、教皇がいろんな敵勢力に追われたときに、サンタンジェロ城まで夜逃げした時のルートらしい(世界史詳しい姉いわく、「夜逃げする教皇は、ほとんど自分が悪いことが多かったみたいだけど」)。城壁のようなものが残っていて、残念ながら、この上に登って逃走ルートを歩くことはできなかったが、追われてる気分になって下を歩いてみた。先に小さくサンタンジェロ城が見えています。ちなみにこの界隈には特にウンコが多かったでございます。
逃げる私

 最後は、サンタンジェロ橋で、テヴェレ川の夕日を見た。アルノ川が悪天候のせいで水が汚かったせいもあるが、夕日はフィレンツェのヴェッキオ橋より、こちらの方が素敵に感じた。街灯が灯り、エレガンスな雰囲気でした。昨日のローマの試合の新聞を勝って…まちがった、買って残しておこうと思い、タバッキにガゼッタを買いに行くが、「ちぇ あんこーら がっぜったでっろすぽると(ガゼッタ紙はまだありますか)?」と聞いても、夕方のせいか、どこも売り切れていた。ちなみに、ガゼッタはガッゼッタと発音しないと通じませんでした。

 宿に帰ると、今日はドッキリテレビにナポリのラベッシと、フィオレンティーナのムトゥがひっかかっていた。ラベッシは、広告の契約を結んだのだが、それがトイレグッズメーカーで、便器に座ってる大きなポスターを街頭に張られて、抗議していた。「大丈夫、ナポリ中が君の味方さ」などと言われ、マジ切れしてかわいそうだった(笑)。ムトゥはTV番組で競演したおっさんが犯罪者で、一緒に写真を撮ったことで一味だと疑われてうろたえていた。「僕、サッカー選手なんだけど、知りませんか?」とおずおずと聞いていたが、「お前なんか知らねえよ、ムートゥ、ムートゥ!」とわざと名前を間違えられたりしていてかわいそうだった(笑)。かわいそう、と言いながら笑っている私であった。

<本日のイタリア語旅行フレーズ>
こん ぱんな(Con panna)
「生クリームを乗せてください」…ジェラートの上に生クリームを乗せてもらうと、美味しさ倍増です!無料で乗せてくれるお店と、有料のところがあるそうですが、我々が頼んだ店は全て無料でした。ちなみに、完全に母譲りで語学嫌いな姉が、唯一積極的に覚えたイタリア語がコレ。それでも時々「ぱんこんな」と間違えていましたが。

3/13ローマ⑥~ローマは一日にして歩けた!へ続く

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3/11ローマ④~来た見た勝った!…のに、負けた…。

<本日のイタリア旅行記メニュー>
●スタディオ・オリンピコでサッカー観戦
(ASローマ×アーセナル)

 さあ、いよいよ、この旅行のメインイベントである。そもそも、イタリア行きの最大の目的は「引退する前にトッティ+そのダメな仲間たち=ASローマを見に行くぞ!」だったのである。実は、今年はスペインに行く予定を立てていたのだ。アルハンブラ、アルハンブララ。だが、トッティのケガが度重なるうちに、これは、一秒でも早くトッティを見に行かなければ、あの芸術の域であるキラーパスを見られないのでは…と危惧し、イタリアへと目的地を変更したのである。

 何で、そんなにトッティ+そのダメな仲間たち=ASローマのファンになったのかを、少しお話させてほしい。私がローマを応援するようになったのは、2004年からであった。実は、この年のシーズンが始まる前に、カペッロという名監督が、裏切るような形でローマを去っていった。ええと、話を分かりやすくするために、ローマを仮に3年B組としましょう。

~連続ドラマ「ASローマ中学3年B組スパレッティ先生」~
 公立のローマ中学3年B組には、パヌッチ君、トッティ君、カッサーノ君、という、問題児3兄弟がいたが、担任のカペッロ先生には3人とも信頼を寄せ、クラスは上手くいっていた。

 しかし、2004年の新学期が始まる前に、カペッロ先生は、お金持ちの私立レアルマドリー学園と巨額な報酬で契約を結び、問題児たちを全員捨てて、ローマの町を後にしてしまった。3兄弟をはじめとしたB組の生徒たちは、信頼していた先生に裏切られ、特にカッサーノ君は深く傷ついた。ヤンキーに理解があるカペッロ先生を慕って転校してきたばかりのメクセス君も、来てみたら先生がいないことを知り、荒れた。しかも、エジプトの番長、ミド君というのも編入することになっていた。ローマ中学は焦った。このままでは、B組は崩壊してしまう…。何とか、新しい良い先生を探さねば…。

 そこで、当時、パルマ中学で、若者の心をつかんでいたプランデッリ先生を呼んできた。しかし、プランデッリ先生が得意とするのは、小さくまとまりがちな良い子の可能性を、のびのびとのばしてあげることである。プランデッリ先生はB組を率いるのは自分の仕事ではないと悟り、家族の病気という事情もあって、数回授業しただけで、ローマ中学を去った。

 そこで、ローマ中学は、日韓W杯という全世界中学大会で、ドイツ中学を世界第2位へ導いたフェラー先生を連れてきた。フェラー先生は厳格なことで知られる。厳しさで持って、問題児達をまとめてもらおうと思ったのである。しかし、ドイツ人の真面目なフェラー先生には、平気で(練習に)遅刻する、宿題(決まった練習)をやらない、先生にタメ口を聞いてくる、授業中(試合中)に暴力事件を起こす、勝手に早退(退場)するというヤンキー達のことがどうしても理解できなかった。フェラー先生は自身もいたく傷ついて、ローマ中学に辞表を置いて、ドイツに帰ってしまうのである。

 困り果てたローマ中学は、独特の教育法(戦術)で、小さな町のキエーボ中学で国中から賞賛を浴びたデルネーリ先生に依頼した。私はデルネーリ先生はかなり頑張ったと思う。番長のトッティ君の方が先生よりも偉い存在として振舞っても、カッサーノ君に生意気な態度を取られても、日替わりで誰かが早退(退場)しても、教育者(指揮官)の意地として、何とかこの学級崩壊クラスを建て直そうと、何度もホームルームを開いて頑張った。しかし、B組の成績、素行は一向によくならず、デルネーリ先生も、とうとう力尽きてしまった…。

 たったの半年ちょっとで4人もの担任の先生に捨てられた、ローマ中学3年B組。大人は、わかってくれない(もちろん、問題児軍団の方が悪い)。とうとう、誰も担任になりたがらず(あたりまえだ)、ローマ中学のOBで、生徒達みんなに慕われている、教員免許を持たない事務員のコンティさんが臨時の担任を務め、何とかローマ中学は廃校(セリエB落ち)を免れた。

 ……という、学園ドラマ顔負けの展開のASローマに、私は大いに受けて、この年は、面白半分にローマを応援していた(笑)。

 翌年、ローマ中学は、ローマ中学以上にお金の無いウディネーゼ中学から、スパレッティ先生を獲得。このスパレッティ先生は、ウディネーゼ中学で、ローマ中学とは一味違う、大人の悪者集団(集団賭博疑惑があったなあ…)の心を巧みに掌握していた経験があるため、ローマ中学のような、長所を探してやって褒め、真剣に気をかけてやればすぐに心を開くタイプの中坊不良など、お茶の子さいさいであった。ただ、このスパ先生も、カッサーノ君だけは、更正不可能と判断し、本人の希望もあって、昔の恩師・カペッロ先生のいる、私立レアルマドリー学園へ転校させた。

 そして、このスパレッティ先生…じゃなくて、監督が、魅力的で画期的なサッカースタイルを披露したのである。その名も「ゼロトップ」!純粋なセンターFW(=簡単に言うと攻撃専門の選手)を置かないシステムである。そう聞くと、どれだけ守備的なシステムかと思われるだろうが、実際には、トッティを一番前に置き、そのトッティから供給される絶妙なパスに反応して、ペロッタなどの中盤の選手が次々に飛び出して来て相手ゴールを脅かすという、非常に攻撃的なサッカーとなった。このシステムは、ローマのFWが次々にケガをして、誰も使う駒がいなくなってしまった時に臨時に採用したシステムなのだが、あまりに斬新で、見ていて面白かったため、世界中から賞賛を受けた。私もこの時から、まじめにローマを応援し始めたのである。

 ASローマ物語にお付き合い頂きましてありがとうございました(笑)。ゼロトップシステムは、天才パッサー・トッティありきのシステムであったため、トッティが怪我がちになってからは、純粋なゼロトップシステムは採用しない試合が多くなったが、それでも今でもローマの持ち味は、次々にタイミングを見て中盤が飛び出してくる、素早いパス回しにある。うわっ!生意気にサッカーを語ってしまった!このへんでやめるので許して下さいませ。というわけで、ローマを応援するために、スタディオ・オリンピコに行くぞ!

 リソルジメント広場で、スタディオ・オリンピコへ向かう32番バスを待つ。いったん、乗り込んだのだが、遠くで稲光!まさか…ゲリラ豪雨?不安になって、いったんB&Bに戻って雨具を取ってくる。出直すと、ぽつぽつと雨が降り出していた。バス乗り場には、ASローマグッズに身を包んだサポーターもいた。その一方で、大きなローマの旗を持って、歩いて行く集団を見る。えっ…まさか、歩いて行くの?(この意味は後で分かる)。

 雨がやや強くなってバスの窓を打つ。…何だか、バスが進まねえ…。窓の外を見ると、スタジアム方向へ歩いて行くローマサポーターに追い越されていく。雨のせいか、車が混んでいて、日本のラッシュアワーのようだ。平日の夕方はローマはいつもこうなのだろうか。さっき、広場から歩いている人がいたわけだ…。試合までまだ時間があって良かった。ローマでバスやタクシーで移動するときは、道が混雑する場合を頭に入れて余裕を持って行動しましょう

 フィレンツェのアルテミオ・フランキの時と同じく、ローマサポーターは、それぞれ違う停留所で降りて行く。混雑に業を煮やして、歩いた方が早いと降りているのだろうか…。どこで降りればよいのか不安になって、近くのお兄さんズに聞くと、「僕たちも行くから一緒に降りるといいよ」的なことを言ってくれたので、同じ場所で降りて、ついて行った。スポーツ施設がいっぱい集まってる、神宮のような場所に、スタディオ・オリンピコはあった。自動改札のような所にチケットのバーコードを通して入る。そして、アルテミオ・フランキと違って、係員は全然まともにパスポートを見ない(笑)。さすがカオスのASローマ。席を探す前に、露店でようやく、私は身につけられるレベルのデザインのローマのマフラーを見つけたので購入!やったー

 いざ、中に入ると、席が見つからない。係員も、見つからない!アルテミオ・フランキでは係員が有り余っていたのに…。ようやく、ここかな?と思われる席につく。ホテルに手配してもらったチケットなのだが、何だかバックスタンドの真ん中のすごい良席!すると、前に座ってた兄ちゃんが「ナカータ」と話しかけてきた。特別中田ファンでもないので、我々の反応が薄く、兄ちゃんが不安そうに「ジャポネージ??」と聞いてきたので、「スィ」と答えた。

 我々の横には、家族連れの、日本のギャルママのような若い元気なお母さんがいたのだが、どうもこの人の席がもめている。何人かが、「ここは僕の席じゃない?」と聞いてくるのだが、ママは超強気で、「ノー!ほら、私のチケット見なさいよ!」と追い払う。みんな納得しかねる顔をして、だが、ママのパワーに押されて去って行く。イタリアも草食男子に肉食女子?あまりにもそのやりとりが多いので、とうとうさっきの「ナカータ」の兄ちゃんが、ママのチケットを見て、「ご婦人、あなたの席はここではなくて、あちらですよ」と右側を指す。姉が何となく自分達の席も不安になって、兄ちゃんについでに見てもらうと、「君達も、あの婦人の近くの席の方だね」と、「バーイ」とウィンクを投げてきた。すごくありがたかったが、胸ときめきはしなかった。

 残念ながら、少し端寄りにはなったが、それでもなかなかの良席。それにしても、スタディオ・オリンピコの座席表はわかりづらく、自分の席が分からない人がたくさんいて、係員に群がっていた(我々もどうして、さっきの席ではなくてここなのかわからなかった)。だいたい、係員が少なすぎる。試合が近づいているのに、完全にカオスと化しているスタディオ・オリンピコ。これこそローマである!

 カオスの中、ローマのチームソングが流れ始めた。観客は一斉に立ち上がり、マフラーやチーム旗を掲げる。我々も真似してマフラーを掲げる。荘厳な音楽に乗って、赤と黄色が揺れ、これは本当に感動した!ちゃんと歌を覚えてきて一緒に歌えばよかったなあ…。続いて選手達が入場してくる。やったー!トッティが出る~!相手のアーセナルは主力に怪我が相次ぎ、セスクもアデバヨールもいない。でもローマも、デロッシがイエローカードの累積で出場停止(ま・た・か!)。それは想定内として、何とメクセスがいない!何で?何で!?(後で知ったのだが、風邪だったらしい。こんな大事な試合で…)。
 
 チャンピオンリーグのワンセグが流れ、試合開始。ローマはアーセナルホームでの第1戦を0-1で負けてしまったため、この試合は2点差以上で勝たなければならない。それにしても、席についてなくて、通路で見てる人の多いこと、多いこと!おそらく、結局、みんな自分の席がわからないらしい(笑)。みんなが整然と自分の席に座っていたサンシーロやアルテミオフランキとは大違い。これがローマなのだ。ちなみに、客席が埋まってしまうと、さらに席は探しにくくなるので、絶対ちゃんと座りたい人は、早めに行って席を探した方が良いです。

 トッティは怪我明けなので、さすがにトップコンディションではないが、やっぱり格段に華があるし、うまい!主力を欠いて、なかなか攻めてこないアーセナルに対し、ローマが試合を支配し、何と、DFのフアンのゴールで先制する!オリンピコ全体が歓喜に揺れて、寒気すら感じた。フアンー!たまに「あー、この人ブラジル人だった!」と思い出させてくれるうまさのある選手(笑)-!これで第1戦からのスコアは1-1の同点となる。オリンピコでびっくりしたのは、ナゼかリーセがすっごい人気!みんな意味も無く「リーセ、リーセ!」と名前を連呼し、リーセも律儀にいちいち答える。真面目なノルウェー人。…いや、良い選手ですけどね、若干地味なリーセがどうしてこんなに人気(多分律儀に答えてくれるから…)?隣のロマニスタの一人で観戦しているおっちゃんが熱いロマニスタで、姉は一緒に応援して若干仲よくなりかけたが、おっちゃんがアーセナルの選手に向かってモンキーチャット(黒人選手の侮辱)をしたため、姉とおっちゃんの仲は断絶された。ローマにも黒人選手はいるので、差別の意識というより惰性でやってるんでしょうけどね。これは絶対に許せません。

 前半終了で、スクリーンに他会場の途中経過が出る。インテルが負けてることを知り、ロマニスタは拍手。拍手してる場合じゃないよ、同じイタリア勢として、勝ち残らなきゃ…。バルサのメッシのスーパーゴールが映ったときには、スタジアム全体から拍手が沸き起こった。

 ローマはいい感じに攻め、トッティが何度が決定的なパスを出すのだが、どうもイマイチ、FWのバティスタの動き、反応が悪く、何度もボールをロストし、決定的なシュートシーンもボールに触れない。こんなに動きが悪いのに、ナゼ監督は変えないのだー!①変える選手がいないから②最後にPK合戦があるかもしれないから。…仕方ないか…。それにしても、アーセナルは全然攻めてこない。プレミアは攻撃サッカーじゃないのかー!ローマごときに引きこもったら恥ずかしいぞー!(もちろん、アーセナルの知将ベンゲルは、日本人の小娘の挑発などには乗らない)。そして、同点スコアのまま、前・後半とも終わり、延長へと入ることになってしまった。この時点で、時計は午後10時半…。姉「残る…よね?」私「もちろん!」

 延長戦でも、ローマの方が押してはいるのだが、ゴールまでは至らず、試合は終わってしまった。この試合だけ見れば1-0でローマの勝ーーー利!…なのだが、2試合の合計なので、1-1の同点で、PK合戦で決着をつけることに。もう午後11時を回っている。おかあさん、おとうさん、ごめんなさい。こんな危ない町の危ない時間に、か弱い姉妹は、まだホテルに帰っていません!PKというのは、押していたチームの方が往々にして落としてしまうのである(ドイツW杯決勝のイタリア×フランスのように)。アーセナル、ローマとも一人ずつ外し、PKまでも延長になってしまった。一人、また一人とPKが得意ではなさそうな選手へと順番が回っていく…。こうなったら、もう運なのだ。結局、トネットのシュートが枠を逸れ、アーセナルの勝ち抜けが決まった。

 精一杯戦った選手達を讃えたかったのだが、あまりもの遅い時間にびびった我々は、「グラツィエ」と一度だけグラウンドの選手達にお礼を言って、走ってスタジアムを後にする。この時は混雑してたので、かなりスリに気をつけた。バス停でバスを待つ。ほとんどの観客はバス停で止まらず、歩いて行く。もしかしてバスって終わってしまってるのかしら…。かなり不安に駆られたが、10分程待つと、お目当ての32番線が遠くに見えた。良かった…。帰れる…。…だが、一向に32の文字が近づかない。スタジアムから道路を横切る人の波が途切れないため、バスがこちらまで来れないのだ!ポリースマン!何してるのよー!こういう時の交通整理が仕事じゃないの~!?(多分、ポリスマンはアーセナルファンの保護に行ってるのだろう…。でも、近くにも何人かはいるのに…)バスは50メートルほどの距離を、30分くらいかかって進んだ。時速0.1km。こんなに遅い時間帯じゃなければ、確実に歩いた方が速いです…。確実に…。

 ローマの敗退があまりにも悲しくて、沈んだ瞳でバスの外を見ていると、中学生くらいのバイクの二人乗り少年が「ヘーイ!」とこちらに手を振り、ウィンクしてきた。…わたしは多分、君達の倍くらい生きてるっつーのに…。終点のリソルジメント広場についた。もう午前0時を過ぎていた。おとうさん、おかあさん、ごめんなさい。だが、全く危険は感じなかった。むしろ東京の方が、怖いかも。それでも、十分に警戒しながら、B&Bに戻る。ユベンティーノのホテルマンが迎えてくれて、「楽しかった?」と聞いたので、「楽しかったよ。でも、負けてしまった(勝ったけど)…」と答えると、「ユーべも昨日負けちゃった。これでイタリア勢は全て敗退してしまった…」と淋しそうに言った。私はそれに対し、即言葉が浮かんでこなくてうまく答えられなかったが、「それでも、私はイタリアのカルチョが好きだよ」と心の中で思った。ちょっとしんみりした。部屋に戻り、「疲れた~」と姉とベットに倒れこんだ。そして、そこで意識は途切れた。

<本日のイタリア語旅行フレーズ>
み ぴあーちぇ かるちょ いたりあーの(Mi piace calcio italiano)
「私はイタリアのサッカーが好きです」…私がとっさに言えなかったセリフ。次にイタリアに行った時に、これを言える機会がくることを!

3/12ローマ⑤~すべての道は、ウンコに注意!へ続く

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3/11ローマ③~ローマでは、ロマニスタのごとくせよ!

<本日のイタリア旅行記メニュー>
○コロッセオ
○フォロ・ロマーノ

 今夜はこの旅行の最大イベントである、ローマVSアーセナルのチャンピオンリーグ観戦なので、午前中にコロッセオやフォロ・ロマーノを廻り、いったんB&Bに帰ってくることにした。

 リソルジメント広場から、古代ローマ遺跡がゴロゴロあるエリア近くのヴェネツィア広場までバスを使った。近くに立っていた、子連れのお母さんに「ここがヴェネツィア広場ですよね?」と聞いて、バスを降りた。

 降りてすぐに帰りのバス停を探すと、また、毎度おなじみ、反対側の通りに、帰りのバス停が無いっ。とりあえず帰れなくなると悲しいので、バス停を探してから観光することにした。

 探した。がんばった。見つからなかった。ので、ヒマそうに止まっているバスの運転席にいる運ちゃんに聞いた。「どべえ ら ふぇるまーた でぃ おちぇんたいうの?(81番線の乗り場はどこですか?)」。運ちゃんは、何を言っているのだ、この日本人の子供(きっと、そう思われていただろう…)は、という顔をする。私は発音が悪いのかと思い、「お、ちぇ、ん、たい、うーの!」とゆっくり発音するのだが、運ちゃんの顔に浮かんだクエスチョンマークは増えるばかり。姉が後ろから乗ってきて、「地球の歩き方」に載っている路線を見せて、81番という数字を指差すと、「あー、おったんとぅーの」と了解して、教えてくれた。あ…「おちぇんたいうの」はスペイン語だった…。初めてイタリアでスペイン語が通じなかった。ぐらしあす…いや、ぐらーつぃえ!それにしても、イタリアの反対方向へのバス停同士はどうしてこんなに遠いのだ。

 というわけで、観光ルートへ。ヴェネツィア広場に面してどどどーんとした建物がある。姉が「これが、悪名高いヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂だよ。この遺跡だらけの古い地域に、似つかわしくない近代的な建物ということで、出来た時は真っ白でかなり浮いてたらしい」と解説してくれる。へー。でも、私には大して違和感は感じられなかった。

 そのままとことこ右折する。両サイドにどどーんと遺跡が登場する。おー!古代ローマ!先にコロッセオに行くので、まずは通り過ぎる。何故かツタンカーメンの銅像のマネをしている大道芸人がいる。何でローマでツタンカーメン?

 さらにとことこ行くと、ジャーン!コロッセオが現れた。でかい!何というか、古代の闘技場とはとても思えない。現代のスポーツスタジアムと変わらない大きさである。しかし、ものすごい存在感である。2000年近く前の建物が、現代にも遜色なく、普通に町の一部として建っている。日本のお寺などは、境内に入らないと見えず、古代の空間に古代の建物があるという感じなので、それとは違い、新鮮に感じた。インチキ古代ローマ兵士が、ここにもいた。赤いのと黒いのがいた。観光オフシーズンの平日だというのに、さすがコロッセオは行列ができている。その行列にちょっかいを出すインチキ兵士。

 簡単な荷物検査の後、中に入る。石作りなので何だかひんやりしているが、闘技場の方に出ると、太陽がさんさんと照りつけていた。青い空。お花。崩れかかった闘技場。まさに「つわものどもが夢の跡」であった。こんな古代から、格闘がひとつの見世物になっていたということは、やっぱり人間の本能のひとつとして、闘争本能というものがあるのかな~とぼんやり思った。と!赤い無数の小さな帽子が、廻りを駆け抜けていく!小学生の!遠足!である!コロッセオにかつて流れた赤い血…を妄想したのは束の間で、ちょろちょろちょろちょろうるさい!「つわものどもが夢の跡」に浸らせてくれー!ちなみにコロッセオは2階まで上がれます。階段orエレベーターは結構奥の方にあるので、忘れずに上りましょう。違う景色が楽しめます。

 コロッセオを出ると、姉は厳然と言い放った。「フォロに入る前に食べ物を調達するよッ!」。???姉のあまりの厳然ぶりに私はただただついて行った。調達すると言っても、エマヌエーレ何たら(覚えられない…)から見て左手の通りにしか、お店らしきものはありそうにない。

 その通りまで行く途中で、何とアーセナルのユニフォームを着たおじさんが観光してた!今日のチャンピオンリーグの観戦のためイングランドから来て、ついでにローマ観光してると見た。でも、おじさん、やっぱりスタジアム以外ではそのユニフォームはダメだよ。よくローマでは、ASローマと戦うチームのファンが襲撃されたりするが、やっぱり目立つ。襲撃してくれと言っているようなものだ。それに、観光に来るなら、その町に少しは礼儀を払わないとね。他人の家に土足で入らないのと同じ様に(もちろん、襲撃そのものが無くなるに越したことはないのだが)。さらに歩くと、今度はリヴァプールのユニフォームにナゼかスコットランドの巻きスカートをはいたおじさん(!)がいた。すね毛がまぶしかった。…たぶんこの人は、わけもわからず、土産物屋でそれと知らずにサッカーシャツを買って着ているだけのアメリカ人観光客と思われた…。それからツタンカーメンもまだいた。

 バールに入ると、中学生くらいの子供達がたくさん中でたむろしていた。そのせいか、我々がパニーノを買おうとすると、森本レオ似の店員さんがイタリア人とは思えない深刻な顔をしていて、視線を決して子供達から離さないで我々に応対する。万引きを警戒してるんだなー。万引きは犯罪ですよ。「ぽるたーれ ヴぃあ(テイクアウトでお願いします)」、とパニーノを温めてもらって、受け取る。それから我々はフォロ・ロマーノへと向かった。私「このパニーノどこで食べるの?」姉「フォロの中で」。えっ?飲食OKなの?不安に思った私は入る時に係のお姉さんに「ぽっそ まんじゃーれ でんとろ(中で食事してもよいですか)?」とパニーノを指差して聞くと、OKだった。へー。そうなんだー。

 いざ中に入ると、だだーんと遺跡が転がっている。全体的に崩れかかっていて、本当に「遺跡」という感じだった。あまりの広さに、どう歩いてよいのか、既に私は途方に暮れた。しかし、姉はちゃきちゃき歩き出し、まずは「マクセンティウスのバジリカ(が崩れかかってるやつ)」なるものを見た。でかかった。私「バジリコ?」。

 それから「ティトゥスの凱旋門(が若干崩れてるやつ)」を見た。「お花ー」。柱にお花があって私は喜んだ。

 そして「ヴェスタの巫女の家(の残骸)」を見た。私は「私だったらこんな家に住みたくない」と言った。

 とうとう姉の逆鱗に触れた。「あんた!もう疲れたんでしょう!」

 そう、疲れたのだ。フォロロマーノはだだっ広い上に、さんさんと晩冬の太陽が照り付けて、何だか温泉にのぼせたみたいになってしまった。しかも、もちろんだが中にバールなど無い。いわんやジェラテリアをや。姉が食料を、血眼になって調達してきたのには理由があったのだ。我々はヴェスタの家の近くの木陰に敷物を敷いて(←用意周到な姉)、パニーノをむさぼり食った。うまかった。

 少し元気を取り戻し、カンピドリオの丘寄りの凱旋門や、ローマのへそ(意味不明)などを見た。しかし、私はローマ史の勉強不足で何が何だかわからなかった。ただ、ただ、わかるのは、ここにはキリスト教文化とは違う文化があったのだということだけである。ローマ史と言えば「ブルータスッ!お前もかああ!」くらいしか覚えていない。あ!あと大スキピオ小スキピオ!それに対し、世界史詳しい姉は、至福の顔をしていた。フォロ・ロマーノで幸せになりたかったら、
食料を十分に持って中に入る
ローマ史を勉強してから来る
フォロ・ロマーノを予習してから来る(説明書きは遺跡近くにほとんどなし)
が、必要十分条件と思われました…。

 さて、そのまま上に続いている、パラティーノの丘に登ることになった。そしたら、猫ー!
遺跡の上の猫くん
 猫くんにかかれば、遺跡だって、ただの「上りたいちょっと高い場所」なのである。この猫くんは、我々がパニーノを食済みなのを知ると、さっさとあっちに行ってしまった。

 そして、また、猫ー!
まんじゅう猫
 このまんじゅうみたいな昼寝猫は、観光客に慣れくさっていて、何度「ちゃお!」と呼びかけても、起きもしなかった。ここにはね、ローマ帝国という偉大な国があったんだってよ。

 パラティーノの丘に登る途中にちょっとした庭園があった。特にこの庭園に見所はなかったが、ベンチがあるので、休めます。食料はここで食べると良いかも。パニーノを食い尽くしてしまった我々には梅干し(日本から持参)と、ハリボーのグミしかもう残っていなかった。私は食ってばっかりだった。

 やっと丘に到着。お花ー!遺跡の中に、白と黄の小さなお花が一面に咲いている!いい季節にこの丘に来たかも!「お花ー」ばっかり言う私に姉は、「あんたは何を見に来たの?」とあきれ顔。でも、本当に、遺跡の中に咲く小さな花には感動しましたよ!文化は滅び、跡地にはただ小さな花が咲くばかり。私って詩人だなあ~このお花のせいかもしれないが、フォロ・ロマーノよりパラティーノの丘の方が私は好きであった。

 「アウグストゥスの家」という矢印があちこちにあるので、それに沿って進む。すると、ちょっとした行列があった。私は訳もわからず並ぶ。並んでから姉に聞いた。「ねえ、コレは何?」。姉いわく「アウグストゥスの嫁の家。中に入れて壁画が見れるんだよ。一度に5人ずつしか入れないから並んでるの」。なるほどー。何で姉、こんなに詳しい?ローマ人?(姉がローマ人なら私も自動的にローマ人)。それほど長い行列ではなかったが、5人ずつなので、結構待った。梅干し食いながら待った。観光シーズンはものすごく待つことになるんだろうなあ…。5人ずつ中に入れる係のおっちゃんは、椅子に座って、すごく眠そう。姉いわく「あんたも眠そう」。途中からおっちゃんはめんどくさくなったらしく、前の5人が帰ってくる前に次の5人を中に入れていた。イタリア仕事。

 ようやく我々の番になり、嫁の家に入る。おじゃましまーっす。2階部分は中に入れず、ガラス越しに赤系の壁画を見た。1階は入れたが、皇帝の嫁の割には、こぢんまりとしていて質素な感じ。アウグストゥスって賢帝だったんだろうなー。壁画がちょこちょこ残っていて、そんなに上手とは思わなかったが、2000年以上前のものだと思うと、何か込み上げてくるものがあった。ただ、不思議に私には東洋系の絵画に見えた。天女みたいな。この直感が、世界史研究の大転換になったりして(ならない)。

 最後はステュディオロ(スタジアムの語源?)と呼ばれる不思議な楕円形の遺跡を見た。姉は「これが見たかったのよー!」と感動していた。私は何が何だかわからなかった。姉が、「競馬場だったとか言われてるんだよ」と言っていた。そういえば馬っぽい感じがした(意味不明)。

 と、いうわけで、ようやくフォロ・ロマーノを出た頃には、私は空腹と暑さでぐったりしていた。ちょっと、私にはローマ帝国はでかすぎた…。小国寡民ばんざい!というより、今度来るときには、ちゃんと勉強してこようと思ったのでした。何だかんだ言って、もう一度、行きたいぞ、フォロ・ロマーノ!いったんB&Bに帰るためにバスでリソルジメント広場に戻り、我々の味方・安くて美味なジェラッテリアにかけこみ、ジェラートを山盛りにしてもらった。ジェラートをすさまじい速さで食べながら、来たるべき夜の決戦に向けて、我々は小休止をとったのでした。
 
<本日のイタリア語旅行フレーズ>
ぽるたーれ ヴぃあ(Portare via)
「テイクアウトします」…バールのパニーノやサンドウィッチはテイクアウトできます。「かるど」と言えばあっためてもらますよ♪中で座って食べるとテーブル料を取られるのがほとんどなので、テイクアウトして、外で座って食べた方がお得です。どこのバールでもパニーノは美味しかったです。バールがある限り、イタリアでは食いっぱぐれずに済みそうでした。

3/11ローマ④~来た見た勝った!…のに、負けた…。へ続く

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貧乏なくせに、イタリア旅行というお金のかかる趣味を持ってしまった、「イタリア旅行貧乏」です。旅行は楽し♪びんぼーも楽し♪がモットーです!
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(limba→辺獄へ和訳改名しました!)

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